〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/05/13 (金) 

朝 顔 (八)
雪がたいそう降り積もった上に、今もちらついていて、雪を着た松と竹とのちがいがそれぞれに面白く見える夕暮、源氏の君の顔やお姿も一段と輝かしく見えました。
「四季折々の季節の中でも、人が心を惹かれる花や紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄み渡った月の火りに雪の照り映えて見える空こそ、不思議に色のない眺めが身にしみて、あの世のことまでが思いやられ、興趣も情緒も尽きないものです。冬の月夜を興ざめなものの例に言い残した人の心は浅いものだ」
と仰せになって、御簾を巻き上げさせられます。
月の光が隈なく照り渡り、あたり一面白一色に見渡される中に、しお れた前庭の草木のさまも痛々しく、遣水やりみず も凍って水音が時々とどこおるのがむせび泣くように聞こえ、池の氷も言いようもなく荒涼としています。
源氏の君は女童めのわらわ たちを庭におろして、雪ころがしをおさせになるのでした。その子たちの可愛らしい姿や髪の形などが月の光に照り映えて、柄の大きい、もの馴れた子たちは、色とりどりのあこめ を無造作に着て、袴の帯をゆるく結んだ気取らない宿直姿とのいすがた がひかえめでしっとりとしていて、衵の裾から長く余った黒髪の先がのぞいているのが、白い雪に一段と鮮やかにくっきりと引き立って見えます。小さい子は子供っぽく喜んで走り回り、扇などを落したりして、夢中になって無邪気に遊んでいるのがいかにも可愛らしく見えます。
もっと雪の玉を大きくしようと欲張って転がすうちに、動かせなくなって困っているようです。また女童の中には、東の縁先などに出て、庭の女童たちが雪玉を転ばしあぐねているのを見ては、気をもみながら笑っている子たちもいます。源氏の君は、
「先年、藤壺の中宮のお前の庭でも、雪の山をお作りになりました。それは昔からよくしたありふれた遊びなのですが、そんなちょっとしたことも、あちらではやはり何か目新しく思われる工夫がされていたものです。
何かの折々につけても、藤壺の尼宮がお亡くなりになったことは、いつまでも残念でなりません。
藤壺の尼宮はわたしにはいつも距離を置いて対していらっしゃたので、くわしい御様子を間近に拝したことはなかったのでしたが、宮中にお暮らしの頃は、わたしのことも気の許せるお世話役とお思い下さいました。わたしの方も中宮をお頼りにして、何か事あるごとに御相談申し上げたりしたものでした。そんな時は、表立って才女ぶられるというようなことはないのに、いつも御相談した甲斐はあり、ほんの些細ささい なことでも、こちらが満足するように取り計らって下さったものです。この世にあれほどすばらしいお方がまたといらっしゃるでしょうか。女らしくいかにも柔らかくて、つつましやかな中にも、御教養の深さは立ち並ぶ者もありませんでしたよ。
あなたはさすがに、藤壺の宮のお血筋を伝えてよく似ていらっしゃるようだけれど、少々、 きもちがひどくて困ったところがあり、利かぬ気の勝っていらっしゃるのが難点ですね。朝顔の姫宮の御気性は、また藤壺の尼宮とは変わっていらっしゃいます。もの淋しい折に、これという用がなくても、お便りを交し合って、こちらもそれなりの気づかいをするというようなお方は、もうこの姫宮お一人だけになりました」
とおっしゃいます。紫の上は、
朧月夜おぼろづきよ尚侍ないしのかみ こそ、御聡明で、御教養も深い点では、人に優れていらっしゃるお方と伺っております。軽々しいお振舞いなどには御縁のないお人柄でしたのに、どうしてあんな不思議な事がおありになったのでしょう」
とお きになります。源氏の君は、
「全くそのとおりですね。あでやかで器量の美しい女の例としては、やはり引き合いに出さなくてはならない人でしょうね。それにつけてもわれながら、お気の毒なことをしたと悔やまれることも多いのですよ。まして浮気な色好みの男などは、年をとるにつれて、どんなに後悔することが多いでしょう。人よりは比較にならぬほど落ち着いていると思っていたわたしでさえそうなのだから」
など、おっしゃって、朧月夜の尚侍ないしのかみ のお身の上にも、少し涙をおこぼしになるのでした。源氏の君はまた、
「あなたが、人数にも入らないと軽んじていらっしゃる大堰おおい の山里の人が、身分に似合わず、ものの道理などもよく心得ているようだけれど、もともとほかの人とは身分の点で同列に扱えないので、気位の高いところなども、わたしのほうでは問題にもしていないのです。それにしても全く取り柄のない女というのには、まだ会ったことがありません。それでも、人並みすぐれた女はめったにいないものです。東の院に淋しく住んでいる花散里はなちるさときみ は、性質が昔と全く変わらずいじらしく思われます。ああはとても真似出来ないものです。そういうところがほんとうによく出来た人なので、気に入って世話をしはじめてこの方、いまだに変わらず、つつましく控え目な態度で過ごして来たのです。今ではもう、お互いに離れられそうもなく、深く愛しています」
などと、昔や今のお話しに夜が更けていきます。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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