〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/05/06 (金) 

薄 雲 (十一)
しばらくは帝のお返事もありませんので、僧都は自分から進んでこんな秘密をお話し申し上げたことを、帝が不埒ふらち だとお怒りなのかと当惑して、難儀なことになったと思い、そっと恐る恐る退出しかけますのを、帝が呼びもどされました。
「このことをいつまでも知らないで過ごしていたら、来世までも罪障のとがめを受けただろう。そんな重大な秘密を、今までそなたひとりの胸に中に秘め隠してこられたのは、かえってそなたを油断のならない人物だと思ってしまう。またほかにこのことを知っていて、世間に漏らし伝えるような人はいないのだろうか」
とお訊ねになります。
「とんでもございません。拙僧と王命婦おうみょうぶ ほかには、絶対、この秘密の仔細を存じている者はございません。それだからこそ、仏天の照覧が実に恐ろしいのでございます。この節、天変がしきりに起こって罪をさとし、世の中が物騒なのも、この秘密のためでございましょう。帝がまだ御幼少で、物事の御分別のない頃は、それでもよろしゅうございましたが、次第に御成人あそばしまして何事も御理解がお出来になる時になりましたので、天はその罪咎つみとが を明らかに示すのです。すべてのことは、親の御時に原因があるのでございましょう。帝が天下の乱れの原因を何の罪の結果とも御存じあそばされぬのが恐ろしく断じて口外すまいと決心しておりました。そのことをつとめて考えないようにし、忘れようとしてきたことを、今更になって申し上げた次第でございます」
と、泣く泣く奏上している間に、夜も明け切ってしまったので、僧都は退出いたしました。
帝は悪夢のようなただならぬ恐ろしい一大事をお聞きになられて、様々に思い悩んでいらっしゃいます。亡き桐壺院の御霊みたま に対してもこのことが往生のお妨げになっているのではないかと不安ですし、また源氏の君が、本当は自分の実父なのに、こうして臣下として自分の子に仕えていらっしゃるのも、何とも身にしみて畏れ多いことだったと、あれこれとお考えになられてはお悩みになり、日が高くなるまで、御寝所からお出ましになられません。
源氏の君も、帝のそうした御様子をお耳になされて、驚いて参内いたしました。
帝はそうした源氏の君の御様子を御覧になるにつけても、ますますたまらなく耐え難くお思いになられて、御涙をこぼしていらっしゃいます。源氏の君はそれを拝見して、近頃は亡き母宮をおしのびになり、涙の乾く暇もないほどお悲しみなので、大方そのせいのお嘆きだろうとお案じになるのでした。
その日、たまたま式部卿の宮がお亡くなりになられてことを奏上しますと、帝はますます世の中の騒がしいことをお嘆きになります。こうした折のことですから、源氏の君も、二条の院にもお帰りにならず、帝のお側につきっきりで伺候していらっしゃいます。
帝は源氏の君としんみりお話しなさいましたついでに、
「わたしの寿命も尽きようとしているのでしょうか。何だかすべてが心細く感じられて、体の具合も普通でないような気がする上、世の中もこんなふうに不穏なので、何かにつけ落ち着かない気がします。亡き母宮が御心配なさるだろうと思って、遠慮していたのだけれど、今は母宮もおかくれになったので、これからは譲位して、のんびりと暮したいと思うのですが」
と御相談申し上げます。源氏の君は、
「何ということを仰せになります。とんでもないお考えです。世の中が平穏でないのは、必ずしも御政道の善し悪しとかによったわけではありません。昔の賢帝の御代にも、かえってさまざまな不祥事が起こったものでした。聖天子の御代にも横道な内乱が起こったりした例が、唐土もろこし にもございました。わが国でも同じようでございます。まして当然のお年になられた御老人が、その時を迎え、自然に亡くなられるのを、帝がお嘆きあそばすことはございません」
など、多くのことを何から何までお話し申し上げますす。その一部をここに書き記すのも、女の身としては生意気そうで、たいそう気が引けます。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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