薄 雲
(十) | 四十九日の御法事も終って、その他の法要などもすかkりすみ落ち着きますと、帝は心細いお気持がなさいます。藤壺の尼宮の御母后の御在世中から、ずっと代々の御祈祷僧として宮家にお仕えしていた僧都
がおりました。この僧都を亡き藤壺の尼宮もたいそう高徳の僧として親しくお扱いになっていらっしゃいました。帝の御尊崇も重くて、重々しい御勅願も数多く立てて、世にも尊い聖僧でした。年の頃は七十歳ばかりで、今は自分の後世を祈るため最後の勤行をしようと、山に籠っていましたが、藤壺の宮の御病気平癒のため下山して、京に出て来ていました。その僧都を、帝が宮中へお呼び寄せになり、いつもお側近くに伺候しこう
させておかれたのです。源氏の君も、ここ当分はやはりもとのようにずっと参内して、帝の護持僧としてお仕えするようにと、僧都におすすめになります。僧都は、 「今では終夜のお加持などはとても体が持たないと思われますが、お言葉も畏れ多うございますので、昔からの拙僧への御厚志に対して、御恩報じの気持もこめましてお勤めいたしましょう」 とお答えして、帝のお側に伺候していました。 ある静かな夜明けのことでした。帝のお側に誰も控えておらず、宿直とのい
の者も退出してしまった折に、僧都は年寄りじみた咳払せきばら
いをしながら、世の中の無常のことなどあれこれ帝にお話し申し上げておりました。その話しのついでに、 「まことに申し上げにくいことがありまして、申し上げれば、かえって仏罰もあたるかと思い、憚はばか
られるところも多いことでございます。けれどもまた、帝がそのことをご存じなくていらっしゃいますと、罪障も多く、天の照覧も恐ろしく存じられます。そのことを拙僧が心中ひそかに嘆いております間に、やがてこの命が絶えてしまいましたなら、帝のために何のお益にもなりますまい。さだめし仏も拙僧の心を不正直だとお思いになりましょう」 とだけ、奏上しかけて、あとは何かを申しあぐねています。帝は、 「いったいどういうことなのだろう。この世に恨みに残るような不満でもあるのだろうか。法師というものは、世離れた聖僧でさえ、ねじくれた嫉妬心が深くて、いやなものだが」 とお思いあそばして、 「幼い頃からわたしは何の隔て心もなくつきあってきたのにmそなたの方では、こんなふうにわたしに何か隠しておられたことがあったとは、恨めしく心外なことだ」 と仰せになります。僧都は、 「おお、もったいない。拙僧は、仏が秘密にして教えてはならぬとお禁じになられた真言しんごん
の秘法さえも、帝には何ひとつ隠さずすっかり御伝授申し上げております。ましてわが心に秘密のしていることなど、何がございましょうか。 これは過去未来を通じての重大事でございますが、このまま隠しておきましては、お崩かく
れあそばした桐壺院と、御母后、それに現在世の政治を執と
っていらっしゃる源氏の大臣の御身のためにも、かえってすべてよくない噂として世間に漏れてひろがりましょう拙僧のような老いぼれ法師には、たとえどのような禍わざわ
を蒙こうむ りましょうとも、何の後悔が御座いましょうや。仏天のお告げがありましたからこそ奏上いたすのでございます。 帝を御懐妊あそばした頃から、亡き藤壺の母后は深くお嘆きになられる仔細がございまして、拙僧に御祈祷をおめいじになられました。くわしい事情は、法師の身には理解しかねます。そのうち不慮の事件が起こりまして、源氏の大臣が横道おうどう
な罪を蒙られ配流はいる になられました時、亡き母后はまします懼お
じ怖れられて、重ねて数々の御祈祷を拙僧に仰せつけられました。それを源氏の大臣もお聞きになられて、またその上の大臣からの御祈願も付け加えて、御祈祷をお命じになられました。帝が御即位あそばすまで、色々と拙僧に御祈祷をさせていただく事柄がごじました。 その承りました御祈祷の仔細と申しますのは」 と言いさして、それから詳しく奏上するのをお聞きになりますと、あまりにも意外で、とても有り得ないような浅ましいことなので、帝は恐ろしくも悲しくも、さまざまにお心がお乱れになりました。 |
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