〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/28 (木) 

薄 雲 (三)
雪やあられ が降る日が多くなり、明石の君は、心細さがいっそうまさって、
「どうしてわたしはこうもいろいろと物思いが多いのだろう」
と、嘆いては、いつもよりいっそう姫君の髪を撫でたり、きれいに着飾らせたりして暮しています。
空も暗くかげり雪が降り積もった朝、明石の君は来し方行く末のことを果てしなく思いつづけて、いつもは、あまり縁側近くに坐ったりはしないのに、今日は端近に出て、池の水際の氷などを眺めています。白い着物の柔らかく萎えたのを幾枚も重ね着て、わとぉ忘れた様子で物思いに沈んでいる姿は、髪の様子といい、後ろ姿といい、最高の貴い御身分の方でも、これほど上品で美しい方はいらっしゃらないだろうと、女房たちも思うにでした。
明石の君はあふれ落ちる涙をはらって、
「これから先姫君がいらっしゃらなくなると、こんな雪の日にはなおさらどんなに心細い思いをすることでしょう」
と、いじらしく泣きながら

雪深み 深山みやま の道は 晴れずとも なほふみ通へ あと 絶えずして
(雪が降りつみ 山深いこの道は 晴れ間もなくとざされようとも どうか都からのお便りだけは と絶えることのないように)

とおっしゃいます。乳母はさめざめと泣いて、
雪間ゆきま なき 吉野の山の たづねても 心のかよふ 跡絶えめやは
(たとえ雪の晴れ間もない 吉野山にわけ入り 道をさがしても 心を通わすお便りを 絶やすことがあるものですか)

と言って慰めます。
この雪が少し解けた頃に、源氏の君は大堰をお訪ねになりました。明石の君はいつもなら待ちかねていらっしゃるのに、今日は、姫君をお迎えにいらっしゃったのだろうと感じ、胸もつぶれる思いがして、これも誰のせいでもない自分の招いたことなのだと悔やまれます。
「もともとお断りするのも従うのも自分の心次第なのだから、いやだと申し上げたら、それでも無理にとはおっしゃらないだろうに。つまらないことになってしまって」
と思いますけれど、今更お断りするのも軽率なようなので、強いて思い直しています。
源氏の君は、姫君がいかにも可愛らしい姿で、目の前に坐っていらっしゃるのを御覧になりますと、
「こんないとしい子をもう けたこに人との宿縁は、いい加減に思ってはならないのだ」
とお考えになります。
この春からのばしはじめた姫君のおぐし が、尼のそいだ髪のように、肩のあたりでゆらゆらと揺れているのが可愛らしく、顔つきや目ものtのはんなりと匂うような美しさなど、今さら言うまでもありません。
この可愛い子を人手に渡して、遠くから案じつづけるだろう明石の君の、親心の闇をお察しになりますと、源氏の君はたまらなく不憫ふびん になられ、安心するようにと繰り返し、夜を徹してお慰めになります。
「いいえ、何で悲しみましょう。せめて、わたくしのようなつまらない者の子としてではなくお扱い下さいますなら」
と申し上げながらも、こらえきれずにしのび泣く気配が、痛々しいのです。

源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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