薄 雲
(一) | 冬に入るにつれて、大堰川
のほとりの明石あかし の君の住居は、いっそう心細さがつのってきます。女君は、源氏の君の訪れも間遠まどお
なので心も落ち着かず、上の空のような頼りない気持にとらわれ、淋しく明かして暮しています。源氏の君も、 「やはりこうした暮しはつづけられないだろう。あのわたしの邸に近い東の院に移る決心をなさい」 とおすすめになりますけれど、明石の君は二条の院の近くに移っても、源氏の君のつれなさをすっかり見つくしてしまったなら、それこそすべては終りで、その時は何といって嘆けばよいやらと、思い乱れるのでした。源氏の君は、 「あなたがどうしてもあちらへ移らないなら、せめてこの姫君だけでも先に移さなければ。こんなところにいつまでもおくわけにはいかない。姫君の将来についてわたしにかねてから考えていることもあるので、このままではもったいない。二条の院の紫の上も、姫の話を聞いて、しきりに逢いたがっているから、しばらく、あちらで紫の上に馴じませてから、袴着はかまぎ
の式なども、内々うちうち にはしないで、晴れて披露してあげたいと思う」 と、本気で相談なさいます。そういうお考えらしいことは、前々から察していたことなので、明石の君はやはりそうだったのかと、胸もつぶれそうになります。 「今さら、貴いお方のお子のように大切にお扱い下さいましても、おそらく世間の人は何かと聞きこんで噂しましょうし、かえって世間体をつくろうことにお困りになるのではないでしょうか」 と、姫君を手放したくない気持なのも、源氏の君は無理もないこととお思いになります。それでも、 「姫が継子ままこ
扱いにされ、可哀そうな目にあうのではないかという心配は、全くいらないのですよ。紫の上は、もう何年もの間、こういうかわいい子が生まれないのを淋しがっいて、斎宮さいぐう
の女御にょうご がすっかり大人になっていらっしゃるにさえ、しいてお世話をしてあげているくらいだから、まして、こんなに憎みようもない可愛らしく幼い人を見たら、夢中になって可愛がらずにはいられない性分なのです」 など、紫の上のお人柄の理想的なことをお話になります。 「ほんとうに前々は、どういうお方だったら御満足なさって落ち着かれるのだろうかと、世間の噂するのも、薄々耳にした源氏の君の浮気な御性分が、紫の上によってすっかりおさまり、落ち着かれてしまわれたのは、よくよく一通りの御宿縁ではなく、そのお人柄も、多くの女君たちの中でとりわけ際立って、すぐれていらっしゃるからに違いない」 と想像されて、明石の君は、 「わたしのような人数ひとかず
でもないしがない者は、とても肩を並べられる立場でもないのに、のこのこ顔出しなどしたら、あちらではさぞ無礼な者と、不愉快にお思いになるだろう。わたしなどはどうなったところで同じこと、生お
い先の長い姫君のお身の上も、所詮は紫の上のお心次第で決まることになるのだろう。どうせそうなら、こんなふうにまだ物心つかないうちに、おゆずりしてしまった方がいいかもしれない」 と思うのでした。 「でも手放してしまったら、あとあとどんなに気にかかることだろう。姫君を奪われたこの淋しい所在のなさを慰めるすべもなくなっては、どうやってこれから過ごしていったらいいのだろう。その上、姫君がいなくなったら、源氏の君だって何に惹かれてたまさかにでも、ここへお立ち寄りくださるだろうか」 などと、あれこれ思い悩むにつけても、明石の君は限りなくわが身の不幸を嘆かれるのでした。 |
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