〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/04/10 (日) 

せき   (二)
常陸の介は、もともと妻にふさわしくない程老齢だったので、程なく病にかかる。原文は 「おい のつもりにや」 と書いてある。老衰が重なったからということだろう。
死の予感の前に、老夫は残される若い妻の身の上を心配する。彼は妻の不貞の過ちなど夢にも知らない。息子の河内の守に、しきりに自分の死後の空蝉の面倒を見てくれと頼む。
紫式部は空蝉の容貌を不美人のように書いているけれど、老夫の心をこれほぢ引き、源氏に忘れられない思いを与え、継息子の河内の守にも執拗な恋慕の想いを起させているのだから、よほど男の心をそそる何かがそなわ った女として、紫式部は空蝉という個性を造形したのだろう。身分に似合わずこの女もプライドが高い。
老夫の死んだ後、空蝉は唐突に出家を遂げてしまう。
寡婦になった継母に継息子の河内の守がしきりに言い寄るのがうるさかったのである。
空蝉は表面きゃしゃで嫋々じょうじょう とした、控え目な感じがし、男は思わずかばってやりたくなるような可憐な雰囲気を持っている。ところが内心は外見と似合わず理知的でプライド高く、強い芯をかくしていた。最初の夜の空蝉の思いがけない抵抗の強さを、なよ竹のしなうような強さと評した源氏だけがそれを知っていて、老夫も継息子もそれを知らなかった。源氏は空蝉の、その外観と内容の差に魅力を感じたのだろう。
「うき宿世すくせ ある身にて、かく生きとまりて、はてはてはめづらしきことどもを聞き添ふるかなと、人知れず思ひ知りて、人にさなむとも知らで、尼になりにけり」
悲しい前世の因縁のある身のため、こうして夫には先だたれ、あげくの果には継息子に言い寄られるなど、浅ましい目を見るものだと思うと、この世がいや になり、人にもそうとは知らせず、こっそり出家してしまった。という意味である。河内の守は自分を嫌って出家なんかしたのだろうと言い、将来どうして暮らすのかとなじる。
空蝉出家への源氏の感想は見えないが、後に源氏は尼になった空蝉を、末摘花と同じく二条の院の東に引き取り、生涯の生活の面倒を見つづけている。空蝉は、源氏の誘惑を防ぎきれない自分の恋心を自覚していたので、出家の道を選んだのであろうし、そうすることによって、かえって、源氏の胸に、自分の俤を永遠に強くやきつけることを知っていたのだろう。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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