関
屋や (一) | あの空蝉うつせみ
の夫の伊予いよ の介すけ
は、桐壺院の崩御した翌年、常陸ひたち
の介にになって任国へ行った。妻の空蝉も伴われて行く。源氏の痛ましい流離のことも聞いてはいたが、便りをするような便宜もなく、音信不通の歳月が過ぎ去っていた。 源氏が都に返り咲いた翌年の秋、常陸の介は任期を終え帰京する。一行が大津までたどりつき、逢坂の関にさしかかった時、たまたま石山寺へ願ほどきに参詣するため大津まで来た源氏の一行と出逢う。 空蝉は抵抗の強さで、十七歳の源氏に忘れ難い強い印象を残したまま、舞台から消えていた。 その後、源氏の身の上にも様々な変転があり、今は二十九歳になって、位も内大臣に昇っている。 「関屋」
はそんな背景の上に描かれた、最も短い帖の一つである。それでいて、絵巻物を見るような華やかで美しい場面となり、印象に残る。 「源氏物語絵巻」 の中にも、決まってこの場面は選ばれている。 伊予へは単身赴任したのに、常陸へは妻を伴ったのは、空蝉の希望ではなかったか。源氏のいる京から離れることで、空蝉は源氏への想いを断ち切ろうとし、またいつ強引に襲われるかも知れない源氏の誘惑から、身を守ろうとしたのだろう。 息子の紀伊き
の守かみ は今は河内かわち
の守になっていて、父の出迎えに来たので、源氏の一行とかち合うだと父に告げる。源氏もまた、常陸の介一行と逢うことを、前もって聞き及んでいた。 源氏は道端に並ぶ十輛ほどの女車に目をとめ、その中にいる筈の薄情だった忘れられない女をなつかしむ。 往年の女の弟小君こぎみ
が、右衛門うえもん の佐すけ
になっているのを呼び寄せ、空蝉へ伝言させる。小君はあれほど源氏に可愛がられたのに、源氏の失脚事件の時、世間の思惑をはばかって、須磨へお供しようともしなかった。そのことで源氏は内心この男を不快に思っているが顔には出さない。 源氏はあの事件の時、自分に好意を寄せ忠誠を尽くした者たちには、復権後、つとめて栄達をはかってやり、報いている。同時に自分に冷たい態度をとった者たちは忘れず、徹底的に復讎ふくしゅう
の態度に出ている。 「今日の関までのわたしの出迎えは、いくら冷たいあなたでもかりそめには思えないでしょう」 という伝言に、空蝉は恋しさで胸が一杯になる。もともと嫌いで情つれ
ない態度をとったわけでない源氏を、空蝉はどこにいても忘れた日がないからであった。 それをきっかけに、源氏はまた、折々便りを寄せ、女の心をひこうとするのだった。 |
|
|