〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/03/19 (土) 

みおつ  くし (三)
御息所は自分の遺言の空しさを、誰よりも知っていただろう。娘に源氏を用心せよと注意したところで何の役にも立たないこともわかっていた。長い年月、斎宮として神に仕えて、世間の交わりの無かった姫君には、恋の恐ろしさなど理解出来るわけはなかったし、源氏に誘惑されて、その魅力をふり払い拒めるほどの女が、いる筈もないことを知っていたからだ。
この凄まじい遺言の迫力に込められた女の熱い情念こそが、御息所の霊が死んでも源氏の愛人につきまとい き、次々不幸にさせたり、死に至らしめたりする未来の出来事の伏線になっている。
御息所の予感は見事適中して、源氏はやはり若く美しい前斎宮に恋心を抱くのだった。
そてを辛うじてせきとめたのは、御息所の瀕死の力をふりしぼった遺言の「威力であった。
この前斎宮は十四歳の時、伊勢へ行く前に宮中へ参り、朱雀帝から別れのさしぐし をさしてもらう式に臨んでいた。その時朱雀帝はま近に見たうら若い斎宮の美しさに強く心惹かれた。今は退位してのど かな日々を送っている朱雀院は、帰って来た御息所の姫君を、院の御所に迎えたいと望む。
源氏はそれを察知すると、藤壺の尼宮と計り、この姫君を冷泉帝の妃として入内させてしまう。
藤壺の尼宮はこの相談を受けた時、いともあっさり、
「それがいいでしょう。院にはお気の毒だけれど、御執心を知らなかったふりをして、御息所の遺言をたてにとり、入内させておしまいなさい。事後報告にすればいい」
と、助言する。いつのまにこんな別人のような、したたかな女になってしまったのかと、読者は思わず目を見張る。自分たち二人の不倫の証である十一歳の帝に、九歳年上の后をあてがおうと密談している二人の姿を思い描くと、ぞっとする。命がけの秘密のロマンチックな恋いを分かち合い悩んだ二人の、変わり果てた現実的な心の姿である。冷泉帝にはすでに権中納言 (頭の中将) 十二歳の姫君が入内し、弘徽殿の女御となっている。
当時の結婚では女の年齢が上の例は珍しくなかった。また叔母とおい 、叔父とめい 、いとこ同士などの結婚はざらにあった。この闇取引をして二年後、帝が十三歳の時、二十二歳の前斎宮は、入内した。源氏は親代わりのような後見人となり、外戚の立場を得たい野心を次第に見せてくる。
この場合も、姫君の意志は全く問われず、帝の考えも無視されている。いくら年齢にこだわらないといっても、あおいうえ や六条の御息所も、四歳、七歳の源氏との年齢差を気にして、コンプレックスを持ちつづけて悩んでいた。九歳の差を前斎宮が全く気にしていなかったとは思えないのである。この人は梅壺うめつぼ女御にょうご と呼ばれたが、後に春より秋が好きだというので、秋好中宮あきこのむちゅうぐうと呼ばれるようになる。
この帖の題名は、住吉参詣の時、辛うじてめぐりあって源氏と明石の君の間で交わした、
みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも
    めぐり逢ひける えに は深しな
数ならで なにはのことも かひなきに
    などみをつくし 思ひそめけむ
からとられている。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next