御代
替りによって、伊勢の斎宮も人を解かれ六条の御息所みやすどころと共に都に帰って来た。 御息所は相変らず六条の邸を趣味よく飾り立て、若い貴公子たちはそこに集まって、昔のサロンの面影を取り返していた。ところが御息所はまもなく病床につくようになり、急速に衰弱していった。重病の時、出家すれば命を取りとめると、当時の人々は信じていたので、御息所も出家する。もちろん、定命で死ぬならば来世の幸せを願う心もある。 何くれとなく見舞の品や手紙を届けてはいたが、源氏も御息所も互いに強いて会おうとはしなかった。野の宮での情趣深い別れの一夜を共有しても、やはり源氏の心の底には、おぞましい生霊いきりょう
の記憶がまざまざと残っており、御息所の胸にも、源氏から冷淡に扱われた日々の苦悩の思い出がなまなましく息づいていたからでsる。 むしろ源氏は十四歳だった斎宮が、二十歳になった今の面影を想像して好奇心に胸がときめくのであった。 出家したという御息所の噂に源氏がショックを受け、見舞った時、御息所は想像以上に衰弱しきっていて、辛うじて身を起こし、脇息きょうそく
にもたれて源氏を迎えた。例によって、どこから出すのかと思われる源氏のやさしい言葉の数々を聞きながら、御息所は満足に返事も出来ない。源氏は痛ましさに泣いてしまう。御息所も心が和み、自分亡き後、前斎宮の後見をしてくれるようにと、痛々しい様子で頼み込む。源氏が承諾すると、御息所は、 「それは有難いけれど、あなたのたくさんの愛人の一人にはして下さるな」 と、思いがけないことを言う。 「娘にだけは、わたくしの二の舞はさせたくないのです。くれぐれも娘に色めいた関心はお持ち下さいませんように」 いまわの際の床でも、御息所の理知的な推理に狂いはなかった。現時はこの時、御息所の肩越しに、几帳きちょう
の帷子かたびら の向うに透いて見えている前斎宮の、横になった姿を舐めるように見ていたのだった。瀕死の時でも聡明な御息所の頭は冴え返っていた。こうして一つの琴を徹底的に思いつめる濃情が、源氏にはうっとうしくおもわれ、この理知的な気の廻し様に圧迫感を感じて、やりきれなくなるのだった。 いまわのさいに見舞ってもらえたのも、前世の因縁がよほど深かったのだろうなど、しおらしいことも口にするが、御息所はこれだけのことを言葉にはきだすと、気の張りもゆるみ、たちまち容態が急変する。その日から数日で御息所は他界してしまった。三十六歳であった。 |