〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/24(月) 

松 風 (十)
源氏の君が非常に重々しく悠然と車の方へお歩きになるの前を、前駆の者たちは、大声で先払いをしています。御自分のお車の後ろの席に、頭の中将や兵衛ひょうえかみ をお乗せになります。
「何ともお手軽な隠れ家を見つけ出されてしまい、残念なことだ」
と、源氏の君はひどく辛がっていらっしゃいます。
「昨夜はいい月でしたが、残念なことにお供に遅れてしまったので、今朝は朝霧を分けて早々とお伺いしたのです。山の紅葉はまだ早すぎましたが、野辺の秋草の花は今が盛りでした。なにがし朝臣あそん 鷹狩たかが りに出かけていて、遅れてしまいましたが、どうなりましたか」
などと頭の中将たちは言います。
「今日はやはえい桂の院に行こう」
とおっしゃって、そちらの方へおいでになりました。
桂の院では急な御饗宴の支度に大騒ぎになります。鵜飼うがい たちをお呼びになりますと、明石の浦の海人あま たちの騒がしいおしゃべりが自然に思い出されます。
昨夜は鷹狩で嵯峨野で一夜を明かした公達きんだち たちが、獲物の小鳥をほんのしるしばかりに結びつけた荻の枝などを、お土産みやげ にして参りました。
「お盃が幾度も次々回されて、川辺は足もとも危ないので、酔いに乗じて終日桂の院でお過ごしになりました。
それぞれ漢詩の絶句などを作って遊び、夕月がはなやかにさし出る頃になると、管絃のお遊びが始まって、まことに華やかです。絃楽器は、琵琶、和琴/rb>わごん ぐらいで、笛など上手な者ばかりを選りすぐり、秋の季節にふさわしい平調ひょうじょう の調子で吹き立てます。折から川風も合奏するように吹いて興趣がつのるのでした。
月は高くさし上り、あらゆる風物が月光を受け澄み渡って見え、夜もやや更けてきた頃、殿上人でんじょうびと が四、五人ばかり連れだって参りました。その人たちは今まで宮中の帝のお側で、管絃の御遊びに参加していたのでした。その時、帝は、
「今日は六日間の御物忌でおんものい みのあける日だから、きっと源氏の君が参内なさる筈なのに、どうしたのだろう」
と仰せられましたが、桂の院に御逗留のkとをお聞きになりまして、源氏の君に御消息をなさったのでした。そのお使いは蔵人の弁でした。
月のすむ 川のをちなる 里なれば 桂の影は のどけかるらむ
(そちらは月の住む 川向こうの桂の里なので 美しく月光が澄みわたり さじかしのどかに 楽しまれておいででしょう)

「羨ましいことです」
とあります。源氏の君はつつしんで不参のお詫びを奏上なさいます。禁中の管絃の御遊びよりは、やはり場所柄のせいかぞっとするほどのすばらしさがひときわ加わった¥楽器の音色に感動して、また酔いが深くなりました。
桂に院には引き出物の品の用意もありませんので、大堰の明石の君のところに、
「あまり大袈裟でない品物はないだろうか」
と、使いをおやりになります。明石の君はとりあえずありあわせた物を、そのままさしあげました。衣裳櫃いしょうびつ 二つに入っています。
勅使の弁は早々に引き返しますので、源氏の君は女の衣裳を祝儀としてお与えになりました

久かたの 光に近き 名のみして 朝夕霧も 晴れぬ山里
(ここ桂の里は 月の光に近いのは名ばかりで 住んでみれば朝霧夕霧に たちこめられ晴れ間さえなく 月光も一向に見えない山里でして)
源氏の君が奏しましたこの御歌は、帝の行幸をお待ち申し上げていらっしゃるというお気持なのでしょう。ひきつづき、
<久方のなかに生ひたる里なれば> ろいう古歌を、お口ずさみになりながら、あの明石で淡路島を望まれながら古歌を吟じられたことをお思い出しになります。それは躬恒みつね の歌で、躬恒が、淡路でぼんやり遠くで見た月にひき替え、今宵宮中で見る月が明るく近々と見えるのは、都という所柄のせいかと、いぶかしがったというののでした。それにかこつけて、今の御自分のお気持をお話なさいますと、聞いている人々の中には感動のあまり、酔い泣きする者もいるようです。
めぐりきて 手に取るばかり さやけきや 淡路の島の あはと見し月
(月日もめぐり都に帰って 手に取るばかり鮮やかに 輝くあの月は昔明石の浦で 淡路島をのぞんで見た あのおぼろの月と同じなのか)
と源氏の君がお詠みになります。頭の中将は、

浮雲に しばしまがひし 月影の すみはつるよぞ のどかけるべき
(浮雲にしばらく姿をかくした 月光の美しく澄み渡った今宵 いつまでものどかでしょう 月のように暗雲も晴れ 都に帰られた君の前途こそ)

と、源氏の君をたたえます。左大弁さだいべん は、少し年輩の人で、故桐壺院の御代にも御信任を得て親しくお仕えした人でしたので、
雲の上の すみかを捨てて 夜半よは の月 いづれの谷に 影かくしけむ
(雲の上の宮中を見捨てられ 夜半の雪影のように 崩御遊ばした故院は いったいどこの谷間に 雲がくれなさったことか)
と、亡き桐壺院をおしの申し上げます。
人それぞれに歌はたくさん詠まれたようですけれど、わずらわしいのであとははぶきましょう。
親しい内輪の人相手のしんみりしたお話が、すこしくだけてきて面白くなり、人々は千年もお側でお聞きしたいような、源氏の君のお姿なのでした。いつか紫の上がおっしゃった 「斧の柄も朽ちてしまうくらい」 いつまでもここにとどまっていたいのですが今日はもう逗留するわけにはまいりませんので、急いでお帰りになりました。
いただいた引き出物の衣裳をそれぞれ、肩にかけた人々が庭に立って、霧の絶え間にその姿が見えがくれするのが、前庭の花の色に見ちがえそうに色とりどりで、殊のほか美しく見えます。
近衛司このえづかさ の音楽で名高い舎人とねり や、舞楽の東遊あずまあそび の名手などが、たくさんお供をしているのに、このまま解散では張り合いがありませんので、神楽歌かぐらうた の 「其駒そのこま 」 などを歌わせて賑やかに遊ばせます。その引き出物として人々がお召物を脱いで次々舎人たちにお与えになるお召物のそれぞれの色合いは、風が吹いて秋の紅葉の錦を着せかけたように見えるのでした。
たいそうな賑やかさでどよめいてお帰りになる人馬のざわめきを、大堰の里の明石の君は、はるか遠く隔てて聞きながら、源氏の君の名残も淋しく、しんみり物思いに沈んでいらっしゃいます。
源氏の君は、お手紙さえ明石の君に届けないで、出発してしまったと、心にとがめていらっしゃるのでした。
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源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ