2016/04/25(火) | 松 風
(十一) | 二条の院にお帰りになり、しばらくお休みになってから、山里のお話などを紫の上にしておあげになりました。 「お暇をいただいた日数も過ぎてしまったのでとても悪いと思っています。例の遊び好きの連中が探し当てて来て、強引に引き止められたのについ負けてしまって。今朝はどうにも気分が悪くて」 と、紫の上と御一緒に御寝所に入ってしまわれました。 紫の上は、例によって、御機嫌斜めのようですが、源氏の君はわざと気のつかぬふりをして、 「比べもののならぬ相手を、対等にお考えになるのはつまらないことですよ。自分は自分だと平気で無視していればいいのです」 と、教えておあげになります。 日が暮れかかる頃、宮中へお出かけになる時に、見られぬように横を向いて隠しながらお書きになるのは、大堰へのお手紙のようです。そばから見ても、いかにも綿々
と情を込めて、お書きになっているように見えます。使いの者に、何かひそひそと言い含めてお出しになるのを、紫の上の女房たちは憎らしいと思っています。 その夜は宮中に御宿直ごしゅくちょく
の御予定でしたのに、紫の上の御機嫌が直らなかったので、夜は更けていましたが、御機嫌取りに御退出になりました。 そこへ先ほどのお返事を使いの者が持って帰りました。紫の上に隠すことも出来ず、その場で御覧になります。別に紫の上のお気に障るようなことも書いてありませんので、 「この手紙は、あなたが捨てて下さい。ああ、わずらわしい。こんな手紙が散らばって人目についたりするのも、今ではふさわしくない年になってしまった」 とおっしゃって、御脇息きょうそく
に寄りかかっていらっしゃいます。お心の内では、明石の君のことがしみじみいとしくて、恋しく思いやられるので、灯影をぼんやり見つめたまま、何もおっしゃいません。手紙はひろげたままそこにありますけれど、紫の上は御覧にならないようなので、 「わざわざ見て見ぬふりをする、あおの目つきが気がかりですね」 とおっしゃって、にっこりなさる愛嬌は、あたり一杯にこぼれそうに魅力にあふれています。紫の上にそっと寄り添っていって、 「ほんとうはね、あちらで可愛らしい姫にも会って来たのですよ。そんな子が生まれるくらいだから前世の因縁が浅いとも思わないけれど、だからといって、姫をあちらで御大層に育てるのも、気がねが多いことだろうし、実際、困っているのです。わたしと同じ気持になって考えてみて下さい。あなたの思うように決めて下さい。どうしたらいいでしょうね。あなたが引き取って、ここで育てて下さいますか。もう三つになっているのですが、無邪気なあどけない様子を見ると放ってもおけないのです。たよりない腰つきも袴着はかまぎ
などしてやりたいのですが、無礼だとお怒りでなかったら、あなたが腰結こしゆい
の役をしてやっていただけないでしょうか」 とお話になります。紫の上は、 「あなたはいつもわたしが嫉妬しているなどと、思いもかけない邪推をなさいますわ。そのお心のよそよそしさに、こちらだって無理に気づかないふりをして、素直にふるまうことなんかあるものかと思っていました。でもまだお小さい姫君の無邪気なお心には、わたしはきっと気に入られると思いますよ。どんなに可愛らしいお年頃でしょうね」 とおっしゃってにっこりなさいます。紫の上は小さい子をそれはそれは可愛がられる御性質なので、姫君を引き取って、御自分で教育してみたいとお考えになります。 そうなってみると、源氏の君は改めて、さてどうしたらいいだろう。姫君を迎えてここへ連れて来たものだろうかと、思い悩んでいらっしゃいます。 大堰へ行かれることはとてもむずかしい状態です。嵯峨野の御堂みどう
の念仏の折などをお待ちになって、月に二度ばかりのお二人の逢瀬のようでした。一年に一度だけしか逢えない七夕たなばた
よりは、まだましでしょうから、明石の君はこれ以上は望めないことと、あきらめてはいますものの、やはろどうして悩み深く苦しまずにはいられましょう。 |
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| 源氏物語
(巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ | |