折から季節も淋しい秋なので、もの悲しい気分がいっそう加わったような心持になります。いよいよ今日出発という晩方に、秋風が涼しく吹き、虫の声もあわただしく鳴きます。それを聞きながら、明石の君は海の方を眺めていますと、入道は、いつもの後夜
の勤行ごんぎょう よりもずっと早く起きて、涙に鼻をすすりながら、お勤めをしておいでです。 今日はおめでたい門出なので、みんんが不吉な言葉を使わないように、気をつかっていますけれど、誰も誰も涙だけはこらえきれません。 幼い姫君はそれはそれは可愛らしくて、夜光ったとかいう玉のような宝物の気持がして、入道はいつも抱いて可愛がり、袖から離したこともなかった上に、姫君の方でも入道に馴れ親しんでいて、いつもまつわりついていらっしゃったその可愛らしいお気持などを思うと、人とは違う出家の身で、執着など慎まねばならぬとわかっていながら、こんなにも姫君が思い切れないのは、不吉なことだと考えても、やはり片時でも姫君にお会いしないでは、これから先、どうどて生きてゆかれよう、と涙をこらえることが出来ません。 |
行くさきを
はるかに祈る 別れ路に たへぬは老いの涙なりけり (新しい門出の姫君の はるかな旅路と未来の幸を ひとり切に祈りながら
今日という別れ路の辛さに 堪えきれぬはわが老いのなみだよ) |
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「まったく縁起でもない」 と言って、入道は涙を拭いかくします。妻の尼君は、 |
もろともに
都は出でき このたびや ひとり野中の 道にまどはむ (昔都を出た時は あなたとふたりでしたのに 今度の旅はあなただけを残し
ひとり旅立っていくのは 野中の道で迷うことでしょう) |
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と言って泣かれる様子は、ほんとうにもっともなことです。これまで夫婦として暮して来た長い年月のことを思いますと、こんなあてにもならない源氏の君の愛情だけを頼りにして、一度捨てた俗世に帰るのも、考えてみればはかないことです。明石の君は、 |
いきてまた
あひ見むことを いつとてか 限りも知らぬ 世をば頼まむ (今日はお別れして行き 生きてふたたび会えるのは いったいいつのことかしら
いつまでの命とも知れぬ 無常ン世を頼みにして) |
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「せめて都までも送って下さったら」 と、懸命におっしゃるのですが、入道は、何かにつけてそれは出来ないとということを言いながら、さすがにみんなの旅の道中が、たいそう気がかりな様子でした。 |