〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/17 (日) 

松 風 (一)

源氏の君は二条の東の院を美しく御造営なさり、花散里はなちるさと の君を移しになりました。西のたい から渡り廊下へかけて、その方のお住まいになさり、政所まんどころ家司けいし などもしかるべく設けられます。東の対は明石あかし の君のお住まいにと、御予定していらっしゃいます。
北の対は、特に広くお造りになって、ここは、かりにもお情けをかけて、将来のことまでお約束なさった人々を集めて、一緒に住まわせようと、いくつにも部屋を仕切ってお造りになりました。それがなかなか見所があり、こまごまとお心遣いが行き届いています。
寝殿は空けてお置きになって、時々御自分がいらっしゃた時のお休み所になさって、それにふさわしいお部屋の飾りつけをさせていらっしゃいます。
明石へは。絶えずお便りをなさいます。今はもう、ぜひとも早く都へお上りになるようにとうながされるのですが、女宮はやはり自分の立場をよくわきまえていて、とても比較にならないほど高貴な御身分の女君たちでさえ、あまり大切になもさらず、かといってふっつりと切れておしまいになるのでもない源氏の君の冷たいお扱いに、かえって女君たちの気苦労は、つのるばかりだという噂を聞くにつけても、
「まして自分のような、大した御寵愛を受けてもいない者が、どうしてその方々のお仲間入りが出来ようか、この幼い姫君のお顔汚かおよご しになるのが関の山で、自分の身分に低さを人に知られるのがおちだろう、どうせ源氏の君がたまにちょっとお立ち寄りになる折を待つだけの身になって、さぞかし人のもの笑いにされ、どんなに多くの恥ずかしい目にあうことだろうか」
と、あれこれ悩み迷いながらも、そうかといって、姫君がこんな片田舎にお育ちになり、源氏の君のお子の数にも入れられず、日蔭のままで過ごされるのはとてもお可哀そうなので、そう一途に源氏の君をお恨みして拒んでばかりいてもいられません。親たちも、娘の迷いをもっともなことだと思って嘆いてばかりいますので、ほとほと思案も尽き果ててしまいました。
昔、母君の祖父君に中務なかつかさみや という方がいられて、その御領地が、嵯峨さが大堰川おおいがわ のあたりにありました。その御子孫にあいっかりとその土地を相続なさる方もなくて、長年荒れ果てているのを親たちは思い出しました。中務の宮の御在世中から引きつづき管理人のようにしておいた者を、明石に呼び寄せて相談されました。
「俗世間のことはこれまでと、きっぱりあきらめて、こうした田舎に落ちぶれた暮しをしていたが、この老年になって思いもかけないことが起こって、改めて都の住居すまい を捜している。いきなり晴れがましい人中ひとなか に出るのも恥ずかしかろうし、とんと田舎暮しに慣れてしまった娘の気持も落ち着くまいから、いっそ昔の所領を尋ね出してと思いついたのだ。造作に必要な物はこちらからみんな送ることにしよう。邸を修理して、一応人が住めるように手入れをしてもらえないだろうか」
と入道が言います。その男は、
「これまで長い間、持ち主もおいでになりませんし、ひどく荒れ果てた草薮くさやぶ になっておりましたので、わたしは下屋しもや の手入れをしてそこに住んでおります。ところがこの春頃から、源氏の内大臣様が近所の御堂みどう の御普請をはじめられまして、あの辺りは、すっかり騒々しくなっております。御立派な御堂などがいくつも建ちますので、大勢の職人が入って、仕事をしているようです。もし閑静なお住まいをご希望ならば、あそこは御期待外れでございましょう」
と言います。入道は、
「いや、それはさし支えない。実はその源氏の君のお力にお便りして住もうと思うことがあって、かえ ってその方が好都合なのだ。家の内部のこまごました造作などは、いずれ追々に仕上げよう。とりあえず急いで大体のところをやっておいて貰いた」
と言います。預かり人は、
「私の所領の土地ではございませんが、ほかに相談なさるお人もないので、閑静なのに住み馴れて、今日までそこに人に知られず暮してきたような次第でして。御荘園みしょうえん の田畑などもすっかり荒れ果てておりましたので、お亡くなりになった民部みんぶ大輔たいふ という御子孫の方にお願いして、お下げ渡し頂きました。それについては相当な謝礼もさしあげて、今は自分の土地として耕作しております」
などと言います。その田畑も、そこからあがる作物も取り上げられはしないかと不安に思っているらしく、憎らしい髭面ひげづら に、鼻などを真っ赤にして、口をととが らしながら文句を言います。入道は、
「その田畑などは、こちらは全く気にしていない。今まで通りと思って耕作しておればよい。領地の証文などは当方にあるけれど、すっかり俗世を捨てた出家の身だから、長い年月調べもせず放っておいたので、いずれその件もきちんと「させよう」
などと言う中にも、源氏の大臣との縁故を匂わせるので、預かり人は事面倒と思いおとなしくなり、その後入道から費用をたくさん受け取って、大急ぎで嵯峨の邸を修築しました。

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源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ