〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/16 (土) 

絵 合 (九)
夜明け近くなった頃、源氏の君は何とはなしに深い感慨が胸にこみ上げられて、おさかずき など傾けながら、昔の想い出話などはじめられます。
「わたしは幼い頃から学問に打ち込んでいましたが、故院もいくらかわたしの学才が身につきそうだと御覧になられたのか、ある時、 『学問というものは、世間であまりにも重んじられているからだろうか、深く学問を極めた人で、長寿と幸運とを合わせて恵まれたことはめったにない。不足のない身分に生まれて、学問などしなくても人にひけを取ることもない者は、無理に学問に深入りしないのがいい』 と、おさとしになられて、むしろ様々の芸道を習わせて下さいました。その方面では出来が悪いものもなく、また取り立てて、これといって得意な面もありませんでした。ただその中で、絵を描くことだけは、不思議に好きで、ほんのとりとめもない技芸にすぎないのに、どうしたら満足のゆくまで描いてみることが出来るだろうかと思う折々がありました。そのうち思いがけない田舎住まいをして、広々とした四方しほう の海の深い趣を見ましたので、海辺の風景は何もかも残る隈なく心に収めましたが、絵筆の表現には限界があって、なかなか心で思うように描けなかっと思われました。これという折もないのに、帝にわざわざ御覧にいただくわけにもまいりませんので、こんな機会にと、おめせお見せしたのですが、何やらいかにも物好きなようで、後々にどんな評判をたてられることやら」
と、帥の宮に申し上げますと、宮は、
何の芸能でも、本気で打ち込まないと習得出来るものではありませんが、その道々に師匠というものがありますから、学ぶ方法のある者は、習得の深さ浅さは別として、自然、習っただけの成果は得られるでしょう。書や絵の道と碁を打つことだけは、不思議に天性の才能の差が現れるものです。深い稽古を積んでいるとも思われないつまらぬ者でも、結構持って生まれた天分によって書いたり打ったるする者も出て来ますが、名門の子弟の中には、やはり抜群の才能の人がいて、何を習っても会得して上達するように思われます。故桐壺院の御膝元にいられた、親王や内親王たちは、どなたもそれぞれ諸芸の道をお習いにならなかった方はいらっしゃらないでしょう。その中でもとりわけあなたは、特別の御熱心さで教えを受け、習得なさった甲斐もあって、詩文に方は言うまでもなく、それ以外のわざ では、きん をお弾きになるのが第一で、次には横笛、琵琶びわそうこと など、次々に習得なさっていらっしゃると、故院もお認めで仰せでした。世間の人もそう思っていましたが、絵は、筆のついでのお慰みに、気軽になさるお遊びとばかり思っておりました。それがまあ、呆れるほどお見事で、昔の墨描すみが きの名人たちも、逃げ出してしまいそうにお上手なのは、かえってどうも感心できませんな」
と、酔ってしどろもどろにおっしゃいます。酔い泣きというのでしょうか、帥の宮は故院のお話などなさりながら、しまいには皆そろって涙をお流しになるのでした。
二十日あまりの月がさしのぼって、その光がこちらまではまだ届きませんけれど、いったいに空の景色が月光で美しい時刻ですから、書司ふみづかさ からお琴をお取り寄せになって、権中納言に和琴わごん をお渡しになりま。源氏の君がいくら名手だといっても、この権中納言も人にすぐれてお上手です。帥の宮は筝の琴、源氏の君はきん 、琵琶は少将の命婦みょうぶ がおつとめになります。殿上人の中で音楽に堪能な者をお召しになり、拍子をおとらせになります。合奏はたいそう趣深く演じられました。夜の明けはなれていくにつれて、花の色も人々のお姿もほのかに見えはじめ、鳥のさえず る声も晴々として、すばらしい朝ぼらけでした。
賜り物の品々は、藤壺の尼宮の御方から御下賜になりました。帥の宮は、帝から御衣おんぞ をまた重ねて頂戴なさいます。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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