〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/16 (土) 

絵 合 (八)

いよいよ絵合の日取りが決まりました。急な御催しのようですけれど、ひかえめながら、風流な会場の設備をして、女房の詰め所の台盤所だいばんどころ に玉座の御用意をいたしました。その御前に、左方が南側に、右方が北側にと、座について、御絵の御披露をします。
殿上人は、後涼殿こうりょうでん簀子すのこ に、それぞれそれぞれ左右に応援しながら控えています。
左方は紫檀したん の箱に蘇芳すおう の木で造った華足けそく の机、敷物には紫地のから の錦、机の上の打敷うちしき葡萄染えびぞめ の唐の絹織物です。女童めのわらわ が六人いて、赤色の表着うわぎ桜襲さくらがさね汗衫かざみ をつけ、あこめ には紅の藤襲の織物です。その服装や態度なども並々でないように見えます。
右方は、じん の箱に浅香せんこう の机、その上の打敷は青地の高麗こま の錦、机の足の飾り結びの組紐くみひも や、華足の趣向など、華やかな当世風です。女童は、青色の表着にやなぎ の汗衫、山吹色の衵を着ています。その女童たちがみんなで、帝の御前に、絵の箱を運んでいって並べます。
帝づきの女房たちは、左方が前、右方が後ろと、装束の色を分けて控えています。
帝よりお召しがあって、源氏の君と、権中納言が参内なさいました。その日、源氏の君の弟君のそちみや も参内なさっていました。この方は色々な方面で風流の聞こえ高い方でいらっしゃる中にも、とりわけ絵をお好みでしたので、源氏の君が内々におすす めになられたのでしょyか、わざわざお召しというのではなくて、たまたま殿上の間にいらっしゃったのを、帝がお呼びになりまして、御前へ参上なさったのでした。そしてこの勝負の判者をおつとめになることになりました。
いかにも上手にこれ以上は描けないと思うほど、描ききった絵がたくさんあります。帥の宮もなかなか判定することがお出来になりません。例の四季の風物を描いた絵も、左方は昔の名人たちが興のあるさまざまな画題を選んでは、のびのびと筆のおもむくままに描き流してあるのが、たとえようもなく見事です。それでも紙絵は紙の寸法に限度がありますので、山や川の自然の悠々としたゆたかさを、充分表現し尽くすことは出来ません。右方のただ筆先の技巧や、絵師の趣向によって飾り立てられているだけの、今出来の深みの乏しい絵も、昔の絵に劣らずはなやかで、ああ面白いと感じられる点では、かえって昔の絵にまさっています。簡単に優劣の判別がし難いので、今日は左右どちらも、聞きごたえのある様々な議論が多いのです。
朝餉あさがれい御障子みそうじ を開けて、藤壺の尼宮も御覧になっていらっしゃいます。尼宮は絵についても御造詣が深くていらっしゃるだろうと思うにつけ、源氏の君も、尼宮の御臨席をほんとうにすばらしいことだとお思いになって、時々判定が曖昧あいまい な場合には、源氏の君がお言葉をはさんでいらっしゃいます。それがまた実に適切なのでした。
勝負は決まらないまま夜になってしまいました。
もうあと一番という最後になって、左方から、須磨の絵が出てきましたので、中納言は動揺しました。右方でも最後の巻きは、特に優れた絵を選んで置かれましたが、源氏の君のようなこういうすばらしい名手が、心ゆくばかり思いを澄まして、静かにお描きになられた絵の見事さは、何にたとえることも出来ません。帥の宮をはじめ、どなたも感涙をとどめることがお出来にならないのでした。
あの頃、おいたわしいことか、悲しいとお思いになったよりも、この絵を御覧になりますと、配所での源氏の君の侘しいお暮しぶりや、お心にお思いになった数々のことが、ただもう今、目の前に見るようにわかります。その地の風景や、身も知らぬ浦々や磯の有り様も、隅々まで描きあらわいていらっしゃいます。草書に平仮名をところどころまぜて、正式の詳しい漢文体日記ではなく、感想が書き付けられていて、身にしぶ歌などもあります。他の巻々もぜひ拝見させていただきたくなるのでした。
どなたももう他のことはお考えになれません。これまでのすべての絵の感興などは、皆この須磨の絵日記に奪われてしまい、感動し切って恍惚となっています。
すべてがこの絵に圧倒されて、左方が勝利と決定しました。

源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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