〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/15 (金) 

絵 合 (七)
源氏の君も参内なさって、こんなに左右それぞれに言い争い、色めきたっている女房たちの様子を、面白くお感じになられて、
「同じことなら、いっそ帝の御前でこの勝負を定めましょう」
とおっしゃるまでになろました。源氏の君はかねてこんなことがあるかも知れないと予想されていましたので、お手持ちの絵の中でも特別優秀なのは、残してお置きになりました。あの須磨と明石の二巻を、今回はお考えがあって、左方にお加えになったのでした。
権中納言も勝負に勝ちたいというお気持は、源氏の君に劣りません。そんなわけでこの頃世間では、面白い紙絵を集めることが、すっかり天下の流行になっていました。源氏の君は、
「今度のために、わざわざ描かせるのは絵合の主旨にもとる。ただ持ち合わせているものだけで勝負した方が」
とおっしゃいますけれど、権中納言は、誰のも内緒の、秘密の部屋を用意して、そこで絵師に描かせていらっしゃるようです。
朱雀院もそうした評判をお耳に遊ばされて、梅壺の女御に、いくつかの絵をお贈りになりました。
その中には、一年中のいろいろな節会せちえ などの、興趣のある有り様を、昔の名人たちがそれぞれに描いた絵に、延喜えんぎ の帝が御直筆で、絵の説明をお書きになられたものがあります。また、朱雀院御自身の御在位中のことをお描かせになられた巻に、あの斎宮が伊勢にお下りになられた日の大極殿だいごくでん の様式を、お心に強く留めていらっしゃいましやので、構図までこまかに御指示なさいまして、名人の巨勢公茂こせのきんもち がお描きした、それは見事な出来栄えのものも、おさしあげになりました。
優雅な かし彫りのじん の木で造った箱に、同じような趣向の飾り物の枝を添えた様子など、いかにも現代風でした。お便りは口上だけで、宮中にも、院の御所にもお仕えしている左近さこん中将ちゅうじょう をお使いになさいました。
あの大極殿に斎宮の御輿みこし が寄せられた神々しい御絵に、
身こそかく しめ のほかなれ そのかみの 心のうちを 忘れしもせず
(今は宮中の外にいて あなたと離れているけれど あの昔、あなたを愛した 心のうちは今も決して 忘れてはいないのです)
とだけ書かれています。御返歌をなさらないのも畏れ多いので、梅壺の女御は心苦しく思われながら、昔のあの儀式にさした櫛の端を少し折って、
しめのうちは 昔にあらぬ ここちして 神代のことも 今ぞ恋しき
(院が御在位だったあの頃と 宮中はすっかり変わった心地です その宮中に住む身になって 神にお仕えしていた斎宮時代が いっそ恋しくなる今日このごろ)
とお書きになって、薄藍色のから の紙に包んでさしあげます。御使者への賜り物なども、まことに優美なものでした。
朱雀院はそのお返事を御覧になられて、限りもなく深い感慨をお呼びさましになられました。それにつけても御在位の昔を取り返したくお思いになれれるのでした。一方では、源氏の君のなさりようもあんまりひどいと、お恨みになられたことでしょう。それもこれも、昔、源氏の君に御自分のなさったことへの御むく いということなのでしょうか。
朱雀院の御絵は、母君の弘徽殿の大后おおきさき から伝えられたものです。右方の今の弘徽殿の女御は、大后の御めい に当たられるので、そちらへもたくさん大后からの絵が集まっていることでしょう。朧月夜おぼろづきよ尚侍ないしのかみ も、こういう物語絵への御趣味は人にすぐれていらっしゃり、いろいろと趣向を凝らして、弘徽殿の女御のためにお集めになっていらっしゃいます。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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