次に伊勢物語に正三位
物語を合わせて、また判定がつきかねます。これも右はおもしろくはまやかに、宮廷の光景をはじめとして、近頃の世の中の有り様を描いた点は、風情があって見所もまさっています。左方の典侍は、伊勢物語を弁護して、 |
伊勢の海の
深き心を たどらずて ふりにし跡と 波や消つべき (伊勢の海の深さもしらべず 伊勢物語の深い意味を考えもせず ただ一概に古風だとばかり
波が砂の足跡を消すように けなし捨ててよいものかしら) |
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世間にあり触れた恋物語を、面白おかしく筆の技巧だけで書いてあるのに圧されて、業平なりひら
の名声を台無しにしてよいものですか」 と、抵抗しますが旗色が悪いようです。右方の大弐だいに
の典侍ないしのすけ は、 |
雲の上に
思ひのぼれる 心には 千尋の底も はるかにぞ見る (雲の上の宮中まで入内した 兵衛の大君の高い心から見れば 伊勢の海の千尋の底など
はるか下に見下ろされます 伊勢物語なんて) |
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と応酬します。結局、藤壺の天宮が、 「兵衛ひょうえ
の大君おおいきみ の気位の高さは、たしかに捨てがたいけれど、在五ざいご
中将業平の名を汚すことは出来ないでしょう」 と仰せになって、 |
見るめこそ
うらふりぬらめ 年経へ にし 伊勢をの海人あま
の 名をや沈めむ (見た目にはうらぶれて 古めかしく見えようとも 長い年月を経てなおも名高い 伊勢の業平の名声を 沈めてよいものか) |
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とお詠みになります。こうした女どうしの論争がやかましく言いつづけられているので、物語一巻の判定にどれほど言葉を尽くしても、なかなか勝負が決定しません。それでも若い心得のない女房などは、ただもう死ぬほどこの絵合の様子をどういうものかと見たがっていますけれど、帝づきの女房も藤壺の尼宮づきの女房も、ほんの片端さえ見ることが出来ません。それほど藤壺の尼宮はこの催しをたいそう内密にしていらっしゃいます。 |