絵 合
(五) | それは三月の十日頃なので、空もうららかに、人の気持ものどかで、すべてに風情のある時節だった上、宮中あたりでも、節会
の行事などもない暇な時ですから、どこのお妃たちもただ絵を愉しむようなことをして、日を暮していらっしゃいます。源氏の君は、同じことなら、帝がもっと楽しく御覧にばれるようにしてさしあげたいとお考えになります。 それからはいっそう気を入れて絵をお集めになりました。斎宮の女御方にも、弘徽殿の女房方にも、さまざまな絵がたくさん集まりました。 物語絵は精密に分かりやすく描いてある点が、親しみを感じさせて勝まさ
っているようですが、、梅壺うめつぼ
の斎宮の女御は、昔の物語の名高く由緒ある絵を、ほとんどお集めになります。一方、弘徽殿の女御は、その頃の新作の物語で、面白いと評判の高いものばかりを選んでお描かせになりましたので、ちょっと見た感じの斬新さ、派手さは、こちらの方がはるかにまさっています。 帝づきの女房なども、絵のたしなみのある者はみな、あちらはこうなどと評定しあうのを、この頃の仕事にしています。 藤壺の雨宮もたまたま参内していらっしゃる頃のことです。絵については、もともとご趣味がお深いので、勤行ごんぎょう
も怠りがちに御覧になります。女房たちがそれぞれ論評するのをお聞きになって、左と右に組をお分けになりました。左の梅壺の御方には、平へい
の典侍ないしのすけ 、侍従の内侍ないし
、少将の命婦みょうぶ 、右の弘徽殿の御方には、大弐だいに
の典侍、中将の命婦、兵衛ひょうえ
の命婦が選ばれました。この人たちは皆、現代のすぐれた物語と認められた人たちです。この人たちが思い思いに弁舌をふるって論戦するのがおもしろくて、藤壺の尼宮は興味深くお聞きになっていらっしゃいます。 まず物語の元祖とも呼ばれている竹取の翁おきな
の物語に、宇津保うつほ 物語の俊蔭としかげ
を組み合わせて、勝負させます。左方は、 「これはなよ竹の節々ふしぶし
を重ねたように代々伝わった古い物語で、特におもしろい節もないのですかれど、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、月世界にはるかに上ってしまった宿縁は、気高くてすばらしく、何しろ神代かみよ
のことのようですから、現世の教養の浅い女にはとても見ても分からないでしょうね」 と言います。すると、右方は、 「かぐや姫の昇天したという空の彼方は、たしかに誰も行けないので知りようがありません。でもこの世では竹の中に生まれるような運命を持っていたのですから、あまり上等な身分ではないと思われます。体の光で一つの家の中は照らすことが出来ても、宮中に上って帝の畏れ多い御光と並ぶ皇后の御位につくことはできませんでした。また、求婚者の阿倍多あべのおおし
は、たくさんの黄金こがね を投じて買い求めた火鼠ひねずみ
の皮衣かわごろも がたちまち燃え尽きたように、姫に寄せる燃える思いはあえなく消えてしまいました。車持くるまもち
の親王みこ が、本当の蓬莱山ほうらいさん
にはとても行けないと知りながら、贋物にせもの
を造って玉の枝にも自分にも瑕きず
をつけたのも竹取の翁の絵の欠点になります」 と言います。絵は巨勢こせの
相覧おうみ 、書は紀貫之きのつらゆき
が書いています。紙屋紙かみやがみ
に唐から の絹織物で裏打ちして、赤紫あかむらさき
の表紙、紫檀したん の軸など、表装はありふれたものです。 「俊蔭としかげ
は激しい波風に溺れかけながら、見知らぬ異国を漂泊しましたが、それでもはじめの目的も果たして、ついには異国の朝廷にもわが国でも、類い稀な音楽の才能を広く知られ、その名を後世に残した昔の人の志を書いたところが興味深いのです。絵のほうも唐土もろこし
と日本を取り合わせて、面白いことはやはりこれに並ぶものがありません」 と言い続けます。料紙は白い色紙しきし
に青い表紙で軸は黄色の玉です。絵は飛鳥部常則あすかべのつねのり
、書は小野道風おののみちかぜ
なので、現代風で見事でした。見た目にも輝くように見えます。左のほうでは、それを打ち負かす反論もありません。 | |
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