〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/14 (木) 

絵 合 (四)
源氏の君がそれをお聞きになって、
「やはり権中納言の大人気ない気の若さは、相変らずだな」
などとお笑いになります。
「むやみに隠して、素直にお目にかけず帝にお気を揉ませたりするとは、まったく しからぬことです。わたしの方に、古代の絵がいろいろございます。それをさし上げましょう」
と奏上なさいました。
二条の院で古い絵や新しい絵がたくさん入っている御厨子みずし を、いくつもお開けになって、紫の上と御一緒に、現代向きの絵をあれこれと選び出してお揃えになります。長恨歌ちょうごんか王昭君おうしょうくん などのような絵は、おもしろく魅力があるのですが、不吉なことを描いたものなので、今度は、縁起が悪いから献上しないことにして、選り けられました。
あの須磨、明石の旅の絵日記の箱もお取り出しになって、このついでに紫の上にもお見せになります。当時のお二人の御心境をよく知らない者が、初めて見ましても、少し人の世の悲哀の分かる人なら、涙をおさえようもないほど、しみじみと心を打たれるお作でした。まして忘れようにも忘れられないあの頃の、夢かと思う辛い苦悩の記憶が、薄らぐ時もないお二人にとっては、この絵日記から、今更のように昔のことを悲しく思い出さずにはいられません。
この旅の絵日記をこれまで見せていただかなかった恨み言を、紫の上は申し上げるのでした。
一人ゐて なげきしよりは 海人あま の住む かたをかくてぞ 見るべかりける
(ひとり京に残され 嘆きに」沈んでいるよりは わたしも須磨へあなたと下って 海人の住む海辺のさまを こうして見たかった)
「そうすれば、せめて心細さが慰められたでしょうに」
とおっしゃいます。源氏の君はほんとうに可哀そうにお思いになって、
憂きめ見し そのをりよりも 今日はまた 過ぎにし方に かへる涙か
(海辺をさすらいつらい思いをした あの頃にもまして今日はまた この絵を見たばかりに 過ぎ去った昔にたちかえり いっそう涙があふれます)
この絵は藤壺の尼宮だけには、ぜひお見せしなければならないものでした。一応欠点のなさそうなものを一帖ずつお選びになります。それぞれの浦の景色がはっきり描けているものを選りわけながらも、まずあの明石の浦の住居のことがしの ばれて、今頃どうしているだろうかと、いつも思い出さずにはいられません。
源氏の君が、こうして絵をたくさんお集めになっていらっしゃるとお聞きになって、権中納言は張り合っていっそう熱心になり、軸、表紙、ひも の飾りにますます意匠を凝らし立派にお作りになります。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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