〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/14 (木) 

絵 合 (三)
朱雀院は、あの櫛の箱のお返事を御覧になりますにつけても、前斎宮のことをお忘れになりにくいのでした。その頃、源氏の君が院の御所へ参上なさいましたので、院は大臣としんみりと語り合われました。そのついでに、前斎宮の伊勢下向の折のことを、前にもお口になさったことを、今日もくりかえされます。それでも前斎宮へ恋しいお気持を抱かれたことなどは、とてもあからさまにはお打ち明けになれません。
源氏の君も、朱雀院の内々のそうしたお気持を存じあげていたようなそぶりは見せず、ただ、今日は、どのようなお気持なのか、それが知りたくて、あれこれと前斎宮の御事を話題になさいますと、今でも並々でなく深く思いをかけていらっしゃることがお察し出来ますので、今更のようにお気の毒になられます。院が申し分なくすばらしいと深くお心に刻まれた前斎宮の御器量は、一体どんなにお美しいのだろうかと、見たくお思いになりますけれど、とても拝見することが出来ないので、御覧になった院を嫉ましく思っていらしゃいます。
前斎宮はたいそう重々しいお人柄で、少しでも子供じみたお振舞いなどがおありですと、自然ちらとでもお姿を拝せる折もあるのでしょうが、ますます奥ゆかしい御態度が増すばかりですから、そうした御様子を御覧になるにつれて、源氏の君は、ほんとうに申し分のないお方だとお思いになるのでした。
こんなふうに帝のお側には、お二人の女御がお仕えしていますので、他の方の割り込むすきもありません。兵部卿ひょうぶきょうみや は、姫君の入内をそうやすやすとは、お思い立ちにもなれません。それでも帝が御成人遊ばしたなら、まさかお見捨てなさらなうだろうと、その時節の到来をお待ちになっていらっしゃいます。
お二人への御寵愛はそれぞれに厚くて、お互いに競い合っていらっしゃいます。
帝は、何にもまして、絵に興味をお持ちでした。とりわけお好きなせいもあったか、ご自身でもまたとなくお上手にお きになります。斎宮の女御も、絵がたいそうお上手でしたので、帝はこちらにお心が移られて、始終おいでになられては、御一緒に描き合ってお心を通わしていらっしゃいます。
若い殿上人たちでも、絵を習う者には帝は眼をおかけになり、贔屓ひいき にお思いです。ましてお美しいお方が、趣のある様子で、形式にとらわれず、興にまかせてのびのびとお描きになり、あでやかに机に寄りかかって、さてどう描こうかと、筆を休めていらしゃる、その可愛らしさに帝はお心惹かれて、しげしげお越しになり、前よりも一層御寵愛が深くなられました。
権中納言はそれをお聞きになりますと、目立ちたがりで派手な御性分から、負けてなるものかと闘志を燃やして、こちらもすぐれた絵の名人たちを召し集め、厳しい注文をつけて、またとないほど見事な絵を、極上の紙にあれこれとお描かせになりました。権中納言は、
「絵の中でもとりわけ物語絵は、情趣が深く見応みごた えのあるものだ」
と、筋の面白い味わいの深い物語ばかりを選りすぐってお描かせになります。よくある月毎の風景や行事絵も、目新しく、詞書ことばがき を長々と書き込んで、帝に御覧に入れます。特に趣向を凝らしていますので、帝はまた弘徽殿の女御の方へもお越しになられて、これらの絵を御覧になります。権中納言は勿体もったい ぶって易々やすやす とはお出しにならず、ひどく秘密になさって、帝が斎宮の女御の方へこの絵を持っていらっしゃるのを惜しがって、お手放しになりません。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next