と書かれた歌が結びつけてあります。 源氏の君はこれをお見つけになって、この件で自分があれこれ画策したことをお思い出しになりますと、院に対してまことに畏れ多く、お気の毒でなりません。いつもままならぬ恋にひかれる御自分の性分を顧みては、わが身につまされて、 「昔、斎宮が伊勢へお下りになる時、どうやら院が斎宮をお見初
めになられたらしい。それがこうして何年も経って斎宮が今日へお帰りになられて、ようやくその恋も叶かな
えられようという今、こんな意外ななりゆきになってきたことを、院は何とお思いでいらっしゃるだろうか。御位みくらい
を去られてからなお淋しくなられ世の中を恨めしくお思いだろうに、もしも自分がその立場になればとても平静ではいられないことだ」 と、いろいろお考えになりますと、朱雀院がおいたわしくてなりません。 「どうしてこんな強引で意地悪なことを思いついて、お気の毒にも院のお心をお苦しめするのだろう。自分も須磨で苦労している時には、院をお恨みもしていたけれど、その一面また、おやさしく情の深いお方でもいらっしゃるというのに」 などと思い悩んで、しばらく物思いに沈んでいらっしゃいました。 「この御返事はどんなふうにお書きになりますか。また、この歌のほかにお手紙もあったでしょう。それには何と書かれていたのですか」 などとお尋ねになりますけれど、女別当はたいそう具合が悪いので、院のお手紙はお目にかけません。前斎宮は御気分も悪くて、お返事を書かれるのも、お気の進まれないふうでしたが、 「お返事をさしあげないのも、いかにも情がおありにならないようで、畏れ多いことでしょう」 と、女房たちがおすすめするのに手を焼いている気配を、源氏の君は物越しにお聞きになって、 「お返事なさらないなどとは、とんでもないことです。ほんの形ばかりでもお返事をさし上げなければ」 と、おすすめになります。前斎宮はそれをお聞きになり。とても恥ずかしく思いながら、昔のことをお思い出しになりますと、大極殿でお別れの時、当時帝みかど
でいらした院が、たいそう優雅に清らかなお姿で、いかにも悲しそうにお泣き遊ばした御様子を、幼心にも、なんとなくしみじみと身にしみて拝見していたのが、つい昨日今日のように思われます。その上、お亡くなりになられた母御息所みやすどころ
のことなども、それからそれへもの悲しくお思い出しになられて、お返事もただこんなふうに、 |