〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/13 (水) 

絵 合 (一)
前斎宮ぜんさいぐう御入内ごじゅだい のことを、藤壺ふじつぼ の尼宮はお心におかけになって、しきりに御催促なさいます。
源氏の君は、前斎宮には細やかなことまでお世話してさしあげるような、これといった御後見もいらしゃらないことを案じていらっしゃいますけれど、朱雀院すざくいん のお耳に達することを御遠慮なさって、今度は前斎宮を二条の院にお移しすることも思い止まられました。この件については全く知らないふりをしていらっしゃいますが、御入内のための一通りのいろいろな御支度はお引き受けになり、まるで親のなったようにお世話していらっしゃいます。
朱雀院は、今度の決定を非常に残念にお思いになりましたが、人聞きも悪いので、その後は前斎宮にお頼りなども全くなさいません。いよいよ御入内の当日になって、朱雀院からすばらしい贈り物が届きました。何とも例えようもないほど見事な御衣裳の数々や、御櫛みぐし の箱、乱れ箱、香壺こうご の箱など、皆最高の物ばかりをお贈りになりました。その上に、幾種類もの御薫物おんたきもの薫衣香くのえこう など、またとないすばらしい名香ばかりを、百歩の遠くまで匂いほどに、特に心を込めて調合させられました。
源氏の君が御覧になるだろうと、前々からお心づもりをなさっていられたのでしょうか、いぁにも殊更にお心をつかわれたらしい感じがしないでもありません。たまたま源氏の君がお越しになられた時に、その贈り物が届きましたので、女別当にょべっとう がこうした次第ですと、それをお目にかけました。
ふと御櫛の箱のふた を御覧になると、この上もなく精微な優美な細工の、珍しいような作りです。挿櫛さしぐし の箱についている飾りの造花の枝に、
別れ に 添へし小櫛おぐし を かごとして はるけきなか と 袖やいさめし
(別れの式にふたたびは帰るなと 言いつつさしあげた黄楊つげ の櫛 あの一言にかこつけて 神はふたりの仲を はるかに隔て給うのか)

と書かれた歌が結びつけてあります。
源氏の君はこれをお見つけになって、この件で自分があれこれ画策したことをお思い出しになりますと、院に対してまことに畏れ多く、お気の毒でなりません。いつもままならぬ恋にひかれる御自分の性分を顧みては、わが身につまされて、
「昔、斎宮が伊勢へお下りになる時、どうやら院が斎宮をお見初みそ めになられたらしい。それがこうして何年も経って斎宮が今日へお帰りになられて、ようやくその恋もかな えられようという今、こんな意外ななりゆきになってきたことを、院は何とお思いでいらっしゃるだろうか。御位みくらい を去られてからなお淋しくなられ世の中を恨めしくお思いだろうに、もしも自分がその立場になればとても平静ではいられないことだ」
と、いろいろお考えになりますと、朱雀院がおいたわしくてなりません。
「どうしてこんな強引で意地悪なことを思いついて、お気の毒にも院のお心をお苦しめするのだろう。自分も須磨で苦労している時には、院をお恨みもしていたけれど、その一面また、おやさしく情の深いお方でもいらっしゃるというのに」
などと思い悩んで、しばらく物思いに沈んでいらっしゃいました。
「この御返事はどんなふうにお書きになりますか。また、この歌のほかにお手紙もあったでしょう。それには何と書かれていたのですか」
などとお尋ねになりますけれど、女別当はたいそう具合が悪いので、院のお手紙はお目にかけません。前斎宮は御気分も悪くて、お返事を書かれるのも、お気の進まれないふうでしたが、
「お返事をさしあげないのも、いかにも情がおありにならないようで、畏れ多いことでしょう」
と、女房たちがおすすめするのに手を焼いている気配を、源氏の君は物越しにお聞きになって、
「お返事なさらないなどとは、とんでもないことです。ほんの形ばかりでもお返事をさし上げなければ」
と、おすすめになります。前斎宮はそれをお聞きになり。とても恥ずかしく思いながら、昔のことをお思い出しになりますと、大極殿でお別れの時、当時みかど でいらした院が、たいそう優雅に清らかなお姿で、いかにも悲しそうにお泣き遊ばした御様子を、幼心にも、なんとなくしみじみと身にしみて拝見していたのが、つい昨日今日のように思われます。その上、お亡くなりになられた母御息所みやすどころ のことなども、それからそれへもの悲しくお思い出しになられて、お返事もただこんなふうに、

別るとて はるかに言ひし 一言も かへりてものは 今ぞ悲しき
(あの遠い日のおわかれの時 ふたたび京に帰るなと 仰せになった一言も 帰ってしまった今は いっそしみじみ悲しくて)
とだけ、お書きになられたようです。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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