源氏の君が石山寺からお帰りになる時は、空蝉の弟の右衛門の佐がお迎えに参りました。先日、逢坂の関でお供申し上げないまま行過ぎてしまったおわびなどを申し上げます。 昔、少年の頃には、お身近においてたいそう可愛がっておやりで、五位に叙していただくまでは何から何まで源氏の君のおかげを被っておりましたのに、思いがけないあの大事件が起こった頃には、世間の取り沙汰を気にして恐れ、父に従って常陸へ下
ってしまいました。源氏の君はそのことを今までいくらか御不快にお思いでしたけれど、それをお顔色にもお出しになりません。 昔のようではないまでも、やはり親しい家来のうちには数えていらっしゃるのでした。紀伊き
の守かみ だっや者も、今は河内かわち
の守かみ になっています。その弟で右近うこん
の将監ぞう を解任されて須磨へお供して下った者を、源氏の君はとりわけお引き立てになりましたので、それを見て誰もが思い当たり、どうしてあの時、少しでも時勢におもねる気持になったのだろうなどと、当時の自分の態度に後悔するのでした。 源氏の君は右衛門の佐をお呼び出しになって、空蝉にお手紙をお伝言になりました。 「もう忘れておしまいになっていそうなことなのに、よくまあ、いつまでもお気持のお変わりにならないことだ」 と佐すけ
は思いながら控えております。 「先日は、思いがけない再会に、あなたとの前世からの深い宿縁を思い知らされました。なたもそうお感じにはならなかったでしょうか」 |
わくらばに
行きあふみちを 頼みしも なほかひなしや 潮ならぬ海 (たまたま恋しいあなたに 行き逢いめぐり逢った路は その名も頼もしい近江路おうみじ
けれども塩もない湖は貝もなく 逢う望みさえ甲斐なくて) |
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「あなたにかしずく関守せきもり
が、この上なく羨ましく、嫉ねた
ましく思われて」 とあります。 「あれからあまりにも長い間と絶えていましたので、お便りするのも何だか気恥ずかしい気がしますが、心の中ではいつも変わりなくあなたを思いつづけ、あの頃をつい昨日今日のことのように思うのが癖になっています。また色めいた振舞いだと、ひどく嫌われそうだけど」 と言伝ことづて
を添えてお手紙をお渡しになりましたので、右衛門の佐はもったいなく思い、姉の所に持って行きました。 「とにかくお返事をさしあげて下さい。昔より少しはわたしに冷たくなさるかと思っていたのに、全く昔と変わらないお心のそのおやさしさといったら、ほんとに世にも珍しいことです。こんなお取次ぎは無用のことと思いますけれど、わたしとしてはとてもすげなくお断りはできません。女の身として情にほだされてお返事をさしあげたところで、誰もとがめだてはしないでしょう」 などと、言います。 空蝉は今は昔よりなおさら気がひけて、何もかも恥ずかしい気持ですが、それでも久々のお便りに、とてもこらえきれなくなったのでしょうか、 |
逢坂の
関やいかなる 関なれば しげきなげきの 中を分くらむ (逢坂の関とは 逢うという名なのに いったいどういう関所なのか 生い茂る木々の下草分けいって
こうも深い嘆きを重ねるとは) |
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「夢のように思われて」 と、お返事をさしあげました。恋しいにつけ恨めしいにつけ、忘れられない女と、お心に深くとどめていらっしゃったので、源氏の君はそれから後も折々、やはりお便りをされ女の心を惹こうとなさるのでした。 |