2016/04/12 (火) | 関 屋
(三) | そうこうする間に常陸の介は年老いたせいか病気がちになり、何かと心細くなってきましたので、息子たちにただもう空蝉のことばかりを遺言として、 「どんなこともすべて、このお方のお好きなままにさせて、わたしが生きていたときと変わらないようにお仕えせよ」 とだけ、明け暮れに言いいいつづけていました。 女君も、もともと悲しい運命のために、常陸の介の後妻になったのですが、今またこの夫にまで先だたれて、終りはどんなみじめな身の上に落ちぶれ、路頭に迷うことになるのだろうと、嘆き悲しんでいます。それを見た常陸の介が、 「人の命は限りがあるものだから、もっと長生きしていと思ってもどうするすべもない。なんとかして、この人のために自分の魂魄
だけでも、せめてこの世に残しておけないものか。息子とはいえ、その本心は分からないのだから」 と、心配で辛くてならないと口にもし、心にも思いもしましたが、やはり寿命は思うにまかせず、常陸の介はとうとう亡くなってしまいました。 しばらくの間は、 「亡き父上があのようにおっしゃいましたから」 などと、息子たちはいかにも親切らしくしましたけれど、うわべはともかく次第に何かと冷たい仕打ちが多くなります。それもこれも、世間によくあることですから、何もかも自分が不幸な運命に生まれ合わせたせいなのだと思って、空蝉は嘆きながら暮しています。 ただ河内の守だけが、前々から継母に対して好色な野心があり、少しやさしそうな態度を見せるのでした。 「父上がくれぐれも御遺言なさったのですから、至らぬわたしですが、他人行儀になさらず何なりとお申しつけ下さい」 など、機嫌をとり近づいて来たものの、そのうち何ともあきれはてた浅ましい横恋慕の下心が見えて来ました。自分のような不運な因縁を負った身の上で、こんなふうに夫より後に生き残り、あげくの果てには何という浅ましいことまで聞かされることかと、人知れず悟るところがありまして誰にも打ち明けず出家して尼になってしまいました。 お仕えしていた女房たちは、何という情けないことかと落胆しています。 河内の守もたいそう恨めしく思って、 「わたしをお嫌いになってこんなことをなさったのでしょうが、まだまだ将来も長いお年なのに、これから先、どのようにしてお暮らしになるのでしょう」 などと尼になった継母に言ったりしたようです。それこそ余計なお節介だと、世間では噂しましたとやら。 |
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| 源氏物語
(巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ | |