〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/11 (月) 

関 屋 (一)

伊予いよすけ といった人は、桐壺院がおかく れになりましたその翌年よくとし常陸ひたちすけ になって任国へくだ りました。あの空蝉うつせみ も一緒に伴われて行ったのでした。
源氏の君の須磨でのお気の毒なお暮らしの噂も、空蝉ははるかな常陸で風の便りに聞き、人知れずお案じ申し上げないでもなかったのですけれど、その思いをお伝えするつてさえなくて、筑波山つくばやま の峰を吹き越えて来る風にことづてを託しますのも、いかにもはかない気がして、全く何の音信もしないままに歳月が過ぎ重なってしまいました。

いつまでもという期限のあったわけでもない源氏の君流浪の御生活も終って、やがて京にお帰りに鳴り、その翌年よくとし の秋に、常陸の介も帰京してきたのでした。
常陸の介の一行が、逢坂おうさか の関に入るちょうどその日、たまたま大臣になられた源氏の君は石山寺にがん ほどきに御参詣になりました。
京から、あの紀伊かみ といった息子たちや、迎えの人々が、
「今日は源氏の君が石山寺に御参詣になります」
と、しら せましたので、それでは道中がさぞ混雑することだろうと、まだ夜明け前から道を急ぎましたが、女車おんなぐるま が多くて道一杯にゆらりゆらりと練り歩いて来ましたので、日も高くなってしまいました。
大津の打出うちで の浜を通る頃には、
「もう大臣は粟田山あわたやま をお越えになった」
と触れながら、前駆ぜんく の人々が道も避けきれないほど大勢、乗り込んで来ました。
そこで常陸の介の一行は関山せきやま でみんな車から降りて、あちらこちらの杉の木の下に車を引き入れ、ながえ を下して木陰にかしこまって隠れるように坐り、源氏の君のお行列をお通し申し上げます。
常陸の介の一行の車は、一部はわざと遅らせたり、あるいは先に出発させたりしたのですが、それでも一族の数がいかにも多いように見えます。十台ほど並んだ車の中から、女の衣裳の袖口やかさね の色合いなどがこぼれ出ているのが見えます。その色合いが田舎びれず洗練されていますので、お目をとめられた源氏の君は、斎宮さいぐう の御下向か何かの折の物見車をお思い出しになります。源氏の君もこうして久々に世に返り咲かれ、華々しい御栄進になられましたので、数知れないほど前駆の者たちがお供していますが、みな、この女車に目をとめました。
九月の末のことですから、紅葉のさまざまな色がまざりあい、霜枯れの草が濃く淡く一面に美しく見渡されるところに、関所の建物から源氏の君の御一行が、さっと離れて来ました。その人々の旅装束の色とりどりの裏のついた狩衣かりぎぬ に、それぞれふさわしい刺繍ししゅう や、しぼ めをほどこしてあるのも、場所柄いかにもしっくりして趣があります。
源氏の君はお車のすだれ をお下ろしになったまま、今は右衛門うえもんすけ になっているあの昔の小君を、お呼び寄せになられて、
「今日わたしがわざわざ関までお迎えに来たことを「、よもや無視なさるわけにはいかないでしょう」
などと、空蝉へお言伝ことづけ なさいます。お心のうちにはさまざまな思い出がどっとあふれてくるのですが、一通りの御伝言しかお出来にならないので、どうしようもないのでした。
女も、人知れず昔のことを忘れかねていますか、あの頃を思い出してたまらなく、胸がこみあげてきます。

行くと と せきとめがたき 涙おや 絶えぬ清水しみず と 人は見るらむ
(逢坂の関を越えて 往った昔も帰る今も きとめかねるとどめないわたしの涙 あなたはそれをただあふれて止まぬ せき清水しみず と見るだけでしょうに)
こうした歌を心ひそかに詠んだところで、源氏の君にはお分かりいただけないのだと、空蝉はほんとにわびしくてなりません。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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