〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/07 (木) 

蓬 生 (七)

「お案じ下さいますのはとてもうれしいのですけれど、わたしはこんな変わり者で、どうして御一緒に行けましょう。もうこのまま埋もれて、朽ち果てようと思っています」
とだけおっしゃいます。
「なるほど、そんなふうにお考えになるのもごもっともではございますが、せっかく生きている身を捨てて、こんな薄気味の悪い所にお住まいになるためしがございましょうか。源氏の大将殿がこのお邸をお手入れくださいましたなら、見違えるような玉のうてな にもなるだろうと、心頼みにしておりますが、只今のところは兵部卿ひょうぶきょうみや の姫君、むらさきうえ より外には、お心をお分けになるお方もないようです。源氏の君は昔から浮気な御性分で、一時のお慰みにお通いになられた方々は、皆、すっかりお忘れになってしまったということです。まして、そうしたお通い所よりはもっと頼りない御様子で、荒れ果てた藪原の中などにお暮らしのお方を、貞淑一途に御自分を頼りにして待っていたものだと感心なさって、お訪ね下さることなどは、とてもあり得ないでしょう」
などと話して聞かせます。姫君は全くその通りだとお思いになりますので、とても悲しくて、さめざめとお泣きになります。
それでも、姫君のお心は動きそうにもありませんので、叔母はあれこれ終日、説得してみたものの、ほとほと困り果てて、
「では、せめて侍従だけでも」
と、日の暮れるにつれて帰りを急ぎますので、侍従は気ぜわしい思いで、泣く泣く、
「それでは、とりあえず今日のところは、こんなにまでおっしゃいますから、お見送りだけにでも行って参りましょう。あちらのおっしゃることもごもっとも、また姫君がお迷いになるのもお道理でございますので、間に立って伺っていますのもつらくてなりません」
と、こっそり申し上げます。
侍従までも自分を捨てて行こうとするのかと、姫君は恨めしく悲しいものの、引き止める言葉もありませんので、いっそう声をあげてお泣きになるばかりでした。
形見にお与えになりたい普段身につけているお衣裳も、苦古して汗じみておりますので、長年尽くしてくれた苦労に対して、感謝の気持をあらわすものもありません。御自分のおぐし の抜け落ちたのを集めてかずら に造られたのが、九尺余りの長さでそれはもうお見事なのを、きれいな箱に入れました。それに、昔から宮家に伝わっている薫衣香このえこう の、すばらしい薫りのものを一壺ひとつぼ 添えてお与えになりました。

絶ゆまじき 筋を頼みし 玉かづら 思ひのほかに かけ離れぬる
(この髪の絶えることない毛筋のように あなたとはいつまでも深いご縁に結ばれた仲 決してこの縁は切れないだろうと 頼りにしきっていましたのに 思いもかけず遠く別れていくこよ)
「亡くなった乳母の遺言もあったことだし、不甲斐ないわたくしだけれど、あなたは最後まで世話してくれるものと思い込んでいました。こうして見捨てて行かれるのも仕方がないけれど、これから先、誰にこのわたくしを任せる気なのですか。そう思うとたまらなく恨めしくて」
と、はげしくお泣きになります。侍従も泣くばかりで、ものもろくに言えません。
「母の遺言は今さら申し上げるまでもありません。これまでの耐えられないほどの暮しの辛さも、辛抱して参りましたのに、こんななりゆきで思いがけない旅路に誘われて、はるばる遠い国までさ迷っていくことになってしまおうとは」
と言って、
玉かづら 絶えてもやまじ く道の 手向たむけ の神も かけて誓はむ
(玉かづらが切れるように たとえお別れしようとも どうしてお見捨て出来ましょう 旅行く道の手向けの神に 切れぬ縁を誓いましょう)

「寿命ばかりはさからえませんけれど、命のある限りは」
などと話している時に、来たの方から、
「どうしたの、暗くなってしまったから早く帰らないと」
と、小言を言われて、侍従は心も上の空に車に乗って、後ろばかり振り返りながら出て行くのでした。
長い年月、つらい思いをしながらもお側を離れなかった者が、こうして分かれて行ってしまったのを、姫君は、ほんとうに心細くお感じになるのでした。もう使い途のなくなったような老いぼれた女房たちまでが、
「いやもう、侍従が出て行ったのは無理もないことですよ。侍従のような若い人がどうしてこんなところに残るものですか。わたしたちだって、とても辛抱しきれませんよ」
と、それぞれ自分たちの縁故を思い出して、出て行こうと話しています。姫君はそれを気まずく聞いていらっしゃいます。

源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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