〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/04(月) 

蓬 生 (二)

もともと荒れはてていたお邸の内は、いっそう狐の棲み家になってしまいました。不気味なほど、人けなく鬱蒼と生い茂った木立に、ふくろう の鳴く声を朝に夕に耳に聞き馴れてきます。前には人の気配があったからこそ、それにはば まれてそうした不気味なものも、姿を隠していたのですが、今は木霊こだま などという怪しげな物まで、わがもの顔に次第に姿を現して、何やらわびしいこととばかりが数知れず起こりますので、たまたま残ってお仕えしている女房たちも、
「これではやはりもうどうしようもありません。この頃あの受領ずりょう たちの中に、風流な家を造りたがっている者がいて、こちらのお邸の木立に目をつけて、お手放しにはなりませんかと、つてを求めて御内意をうかがい出ております。いっそもう、そうなさいまして、こんな世にも無気味で恐ろしいお住居すまい から、お移りなさるようお考え下さいませ。ここでは、お側に残ってお仕えしております者たちも、もうとても辛抱しきれません」
などと申し上げますけれど、姫君は、
「まあ、ひどいことを言う、世間の思惑ということもあります。わたしの生きているうちに、そんな父宮のお形見をなくすようなことがどうしてできますか。こんなに、恐ろしいほど荒れ果ててしまっても、御両親のお姿がとどまっていらっしゃるような気のするなつかしい家と思えばこそ、わたしの心も慰められているのに」
と、お泣きになるばかりで、邸を手放すことなどまるでお考えにもなりません。
お道具類なども時代のついた使いこまれた品々が、昔風の作りで立派なものがあるのを見まして、生半通な風流ぶった者が欲しがります。故宮が特別に、誰それの名の通った名人たちにお作らせになったという由緒を聞き出してきて、売っていただけないかなど御意向を打診してくるのも、自然こんな不如意な暮らし向きと、あなどってのことなのです。それを例の女房たちは、
「こうなっては仕方がございません。売り食いするのも世間にはありがちなことなのですから」
と、人目につかないように取り計らって売り、目の前にさし迫った今日明日の暮らしをどうにかしようとする時もあるのですが、姫君はきつくお叱りになって、
「父宮がわたしに使わせようとお思いになられたからこそ、作らせておおきになったのです。それをそうして、軽々しい身分の者などの家の飾りにすることができますか。亡き父宮の御遺志をないがしろにするのはたまりません」
とおっしゃって、そういうことは一切お許しになりません。
ほんのちょっとした用件ででも、お訪ねする人の誰一人ない姫君の御身辺なのです。ただ兄宮の禅師ぜんじ の君だけが、まれにでも京にお出ましの時には、お顔をお出しになります。その禅師の君も世にも稀な昔風なお方で、同じ僧侶というものの中でも、暮しの依り所もない浮き世離れのしたひじり でいらっしゃいまして、お庭のぼうぼう生い茂った草やよもぎ を取り払ってやろうとさえ、さっぱりお気づきになりません。

源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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