源氏の君が、須磨の浦で、<藻塩たれつつ>
と涙にかきくれながら、辛く侘
びしい日々を過ごしていらっしゃった頃、都にも、さまざまに嘆き悲しんでいられる女君たちがたくさんおいでになりました。それでも御自分のお暮らしにご心配のない方々は、ただ、源氏の君を一筋に恋い慕われるお心だけが、はた目にもいかにもお苦しそうにみえました。 二条の院の紫の上などもお暮らし向きは何のご苦労もないので、源氏の君とも、度々文通もなさり、御無事を確かめ合いながら、官位を失われた後の源氏の君の仮かり
のつつましい御衣裳などにも、辛い憂き世の季節の変わり目毎に御用意なさりお送りになります。そういうことでどうにかお心を紛らしていらっしゃったのでしょう。 それに引きかえ、源氏の君のお情けをこうむったものの、あまえい愛されないで世間には愛人の一人とも知られないまま、都落ちをなさいました折の源氏の君の御様子も、噂に聞くだけでよそ事のように想像なさり、人知れず切ない思いにじと耐えていられたような方々も多かったのです。 常陸ひたち
の宮みや のあの末摘花すえつむはな
の姫君は、父宮がお亡くなりになられた後は、ほかに心配してお世話なさる人もないお身の上で、たいそう心細そうにお暮らしでしたのを、思いもよらないなりゆきから、源氏の君がお通いになりはじめ、ずっとお世話をいていらっしゃったのでした。源氏の君の盛んな御威勢からみれば、全く取るに足らないほどの、わずかな御援助にすぎないと、源氏の君はお思いでしたが、それをお待ち受けになるお方の貧しいお暮らしでは、大空のおびただしい星影を盥の僅かな水に映してわが物にしたような、身に余る思いで感謝なさり、お過ごしでいらっしゃいました。 そのうちに、あの須磨配流はいる
の騒ぎが起こって、源氏の君はこの世のことがなにもかもうとましくなり、悩み苦しまれたのにとり紛れて、それほど深くも思っていらっしゃらなかった女君たちへの気持などは、つい忘れるともなく忘れたようになり、遠く須磨へ旅立たれておしまいになったのでした。その後は、わざわざお便りなさることもありません。 源氏の君の御庇護ひご
の名残で、しばらくの間は末摘花の姫君もm泣く泣くどうにかお過ごしになりましたものの、年月がたつにつれて、いよいよおいたわしく不如意なお暮し向きになられるばかりでした。 昔からお仕えしている古女房などは、 「ほんとにまあ、姫君は何と御運のつたないお方なのでしょう。思いがけずまるで神仏が突然出現なさったようだった源氏の君のお情けを頂戴して、人はこんなすばらしい御縁にもめぐり合うことがあるのかと、わたしたちは源氏の君をほんとうに有り難く存じておりましたのに、移り変わるのは世の習いとは言うものの、ほかに頼るお方もいらっしゃらない今のお身の上は、ななんとまあ悲しいことでしょう」 と、愚痴をこぼして嘆くのでした。 そうした不如意な暮しが当り前だった頃の昔は、嘆いても仕方のない貧しさにもそれなりに慣れてしまっていたのに、なまじ源氏の君のお蔭で、多少なりと世間並みの暮しに馴染んだ月日があったため、女房たちは一層辛抱できない思いに嘆いているのでしょう。 前には、多少ともお役に立ちそうな女房たちが、自分からこのお邸に参上しては住みついてしまいましたのに。今は皆、次から次へと、方々に散って行ってしまいました。中には年とって死ぬ者もあり、歳月と共に、みぶんの上下なしに人少なになっていきます。 |