はかなく過ぎて行く月日につれて、いよいよ淋しく、心細いことばかりがつのっていきますので、お仕えしている女房たちも、次第にお暇を取って去って行ったりします。お邸は下京の京極のあたりなので人家も少なく、山寺の入相
の鐘の音があちこちから聞こえるにつけても、斎宮はこらえきれず、声をあげてお泣きになりがちに、お過ごしでいらっしゃいます。同じ親子の御関係というなかでも、御息所と斎宮とは、片時もお離れになっやことがなく、ずっと御一緒にお暮らしになられて、斎宮として伊勢へ下向なさった時にも、親が付き添って下られるのは、前例のないことなのに、あえて母君をお誘い申し上げたほどのお心でしたから、死出の旅路にお供申し上げることも出来なかったことを、涙の乾くひまもなく嘆き悲しんでいらっしゃいます。 宮家にお仕えしている女房たちは、身分の高いものも低い者も大勢おります。けれども源氏の大臣が、 「たとえ御乳母めのと
たちでさえ、自分勝手なことをして、姫宮に間違いを起さないように」 などと、いかにも父親ぶって御注意なさいますので、この気のひけるほど御立派な源氏の君の御有り様に対しても、不都合なことがお耳に入るようなことはしないでおこうと。皆で言いもし、思いもして戒めあっておりますので、男君とのほんのちょっとしたお取り持ちなども、一切する者はおりません。 朱雀院におかせられましても、あの昔、伊勢に下向なさった日の大極殿だいごくでん
での荘重な儀式の折に、不吉なまでも美しくお見えになった斎宮の御器量を忘れられなくて、思い続けていらっしゃいましたので、 「こちらにおいでになって、妹の斎院や、ほかのわたしの姉妹にの女宮たちと御同様にして、お過ごしなさい」 と、生前の御息所にもお申し入れがあったのでした。けれども御息所は、れきっとしたお妃たちがひかえていらっしゃる中へ、こちらは大勢の御後見もないのに、どうしたものかと御心配になり、院はまた、たいそう御病気がちでいらっしゃるのも不安で、またこの上、院の御逝去にでもおあいして悲しい思いをお加えになられるのではあるまいかと、御遠慮して過ごしていらっしゃいました。 その御息所も亡き今は、まして誰が宮仕えのお世話が出来ようかと、女房たちは諦めていましたのに、なおまた朱雀院から御熱心なお誘いの仰せがあるのでした。
|