2016/03/31 (木) | 澪 標
(十七) | 源氏の大臣はその事情をお聞きになって、院から御意向が伝えられているのに、そのお心に背
いて、横取りなさったりしては畏れ多いとお思いになるものの、それにつけても斎宮の御有り様がいかにもお可愛らしくて、手放すのはそれもまた残念でならず、とうとう藤壺の尼宮に御相談なさいました。 「こういう次第で思案に迷っておりますが、母御息所はまことに重々しく思慮深い方でございましたのに、わたしのつまらない浮気心のせいで、みっともない浮き名を流され、恨めしい男と思われたまま、亡くなられてしまわれたのを、まことにお気の毒に思っております。この世では、その恨みの心が解けずじまいになってしまいましたが、御臨終の際に、この斎宮の御ことをわたしに御遺言なさいましたので、さてはこのわたしをそのような後事を託し、何を打ち明けても安心出来るものと、さすがに考えていて下さったのかと思いますにつけ、たまらない気がいたします。世間一通りのことについても、気の毒なことは黙って見過ごせないものでございますが、どうにかして、草葉の蔭からでも、生前のあの恨みをお忘れになるようにしてあしあげたいと思うのでございます。 さて、帝におかせられましても、ずいぶん大人らしくおなり遊ばしましたが、まだ頑是ないお年頃でいらっしゃいますので、少し分別のある方が、お側にお仕えしてもよろしいのではないかと存じますが、それもすべてお指図次第でございます」 などと申し上げますと、藤壺の尼宮は、 「それはまあよく考えつかれました。院の御所望がありますのは、ほんとうに畏れ多く、申し訳なく存じますけれど、御息所の御遺言を口実にして、院の思し召しには気がつかなかったふりをして、入内おさせなさいませ。院は今では、そのようなことには特に御執心ではなく、仏道の御修行もっぱらにおなりで、あなたからそう申し上げても、さほど深くもお気にはなさるまいと存じます」 「では、帝への入内をとの御意向がこちらにございまして、妃の一人としてお認めいただけるようでしたら、わたしの方はただ脇からお口添えする程度のことにいたしましょう。どちらに対しても、あれこれと十分に考え尽くしましたし、ここまでわたしの心づもりも打ち割ってそっくり申し上げました。それでも世間の人が何というかと、気がかりでございます」 などと申し上げまして、後日、いかにも藤壺の尼宮の仰せの通り、さりげないふりをして、まず斎宮を二条の院へお移ししようとお考えになります。紫の上にも、 「わたしは前斎宮をこちらにお移ししようと思うのです。あなたがこのお方をお話相手になされば、丁度お年頃もお似合いでしょう」 と、お知らせになりますと、紫に上は、お喜びになって、前斎宮が御移転になられる準備を急いでなさるのでした。 藤壺の尼宮は、兄君の兵部卿の宮が姫君をはやく入内させたいと、大騒ぎをして養育なさっていらっしゃるらしい御様子につけても、源氏の君と兵部卿の宮の仲がしっくりしていらっしゃらないので、源氏の君がこの件で、どういう御態度をおとりになられるかと、お心を痛めていらしゃいます。 権中納言の御娘は、弘徽殿こきでん
の女御にょうご と申し上げています。祖父に当たる摂政太政大臣の御養女として、たいそう美々しく大切にかしずかれていらっしゃって、帝も、よいお遊び相手とお思いです。藤壺の尼宮は、 「兵部卿の宮の中の姫君も、帝と同じお年頃でいらっしゃるので、さぞかしたわいないお人形遊びを見るようでしょうから、それよりこの大人びたお世話役がお出来になることはほんとうにうれしいことです」 とお考えになり、仰せにもなられて、帝にもそういうふうに奏上なさいましたのでしょう。 一方、源氏の大臣が万事に行き届かぬところもなく、御政治向きの御後見は申すまでもなく、御日常の細かなことまで、帝に対するお心遣いが、いかにも情愛深くおやさしく見えますので、藤壺の尼宮は、頼もしくお思いになっていらっしゃいます。ところが尼宮御自身はいつも御病気がちなので、参内などなさっても、ゆっくり帝のお側に付き添っておいでになるのもむずかしいため、少し大人びた年頃のお世話役が、帝のお側には、どうしても必要なのでした。 |
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| 源氏物語
(巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ | |