〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/03/30 (水) 

澪 標 (十五)
雪やみぞれ が降り乱れた荒れた模様のある日、源氏の君は、六条の斎宮が、人少ないひっそりしたお邸でどんなに侘しく、物思いに沈んでいらっしゃることかと、お察しになられて、お見舞のお使いをさしむけられました。
「今日の荒れた空模様を、ごのように御覧になっていらしゃいますか」
降り乱れ ひまなき空に 亡き人の 天翔あまかけ るらむ 宿ぞかなしき
(雪や霙の降り乱れ 止むひまもない荒空を 亡き人の御魂が離れかね 天翔けているだろう その宿の悲しさ)
と空色の紙の曇ったようなのにお書きになりました。うら若い前斎宮のお目を惹くようにと、心を込めて意匠をこらし飾られたお手紙は、目もまぶしいくらいでした。斎宮は、とてもお返事をしづらい御様子でしたが、女房の誰彼が、
「代筆では、あまりに失礼に当たります」
と、しつこくおすすめ申し上げますので、鈍色にびいろ の紙の、たいそういい匂いに香を きしめた優美なものに、墨の濃淡なども美しくまぎらわして、
消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし わが身それとも 思ほえぬ世に
(消えそうもなく降りつづく雪 わたしも雪のように消えもしないで 自分が自分とも思えないまま いつまでもこの世に 長らえているのが悲しくて)
遠慮がちな書きぶりは、たいそうおっとりしていて、御筆跡はお上手とはいえませんけれど、愛らしく、お上品なのでした。
源氏の君は斎宮が伊勢に下向された頃から、やはり只ではすまされないお気持がしていらっしゃたのが、今ではうつでもお心にかけて、何とでも言い寄ることが出来るのだとお思いになりますけれど、例によって、また思い返して、
「それもお可哀そうだ。故御息所がひどく心配そうにあれほど気にして逝かれたのも、もっともなことだし、世間の人も、御息所と同じように自分のことを邪推しかねないことだから、ここは一つ、その予想の裏をかいて、清く美しくお世話をしてさしあげよう。帝が、今少し物事の道理がおわかりになるお年頃になったら、斎宮に入内していただこう。自分には年頃の女の子もなくて、もの足りなく寂しいので、このお方をお世話の対象としよう」
とお考えになられます。
源氏の君はたいそうこまごまとお心を込めてお便りなさいまして、これという折々には、御自分でお訪ねになります。
「もったいないことですが、亡き母君のお身代わりの者とでもお思いになって、他人行儀になさらず、親しくお付き合い下さいましたら、どんなに嬉しいことでしょう」
など申し上げますけれど、斎宮はどうしようもないほど恥ずかしがりの内気なお人柄なのです。かすかに御自分のお声などを源氏の君にお聞かせするのさえ、とんでもないこととお思いになりますので、女房たちも源氏の君へのお取りなしに困りきって、こうした内気な御性質を皆でお案じするのでした。
「こちらには女別当にょべっとう内侍ないし とかいった女官たち、あるいは御縁につながる皇族系の方々などで、たしなみのある女房たちが大勢お仕えしたいるだろう。今、自分がひそかに考えている入内を実現させるにしても、他の女御たちに引けをお取りになることもなさそうだ、おれにしても、どうかしてもっとはっきりと御器量を拝見したいものだ」
まどと源氏の君がお考えになりますのも、どうやら気の許せる親心ばかりからではなかったのでしょうか。御自分でも、その点、自信がお持ちになれないので、入内の心づもりがあるということは、人にもお漏らしになりません。
御息所の追善の御法事のお世話なども、特別ねんごろになさいますので、世にも稀な源氏の君の御厚意を、宮家の人々も喜び合っているのでした。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next