澪 標
(十) | その年の秋、源氏の君は住吉神社にお礼詣りにいらっしゃいました。須磨の嵐の時に立てた数々の願時ときにいらっしゃるのですから、威風堂々の盛大な行列で、世間でも大騒ぎして、上達部
や殿上人でんじょうびと が、我も我もとお供して行かれます。 そうした折も折、あの明石の君が、毎年の恒例の行事として、春秋に住吉神社にお詣りをつづけていらっしゃいましたのに、去年今年と、出産のことでさし障りがあり、お詣りが出来なかったお詫びもかねて、参詣を思い立ちました。 船でお詣りしました。到着して岸に船をつけようとして見ますと、大騒ぎしながら参詣する人々の賑わいが、浜辺いっぱいに満ちあふれて、立派な奉納の宝物を捧げた人々が続いています。十人の楽人がくにん
なども、装束を美々しく整えて、顔立ちのよりすぐった人ばかりです。 「どなたのご参詣ですか」 と明石の君の供の者が尋ねたらしいのに答えて、 「源氏の内大臣さまが御願ほどきにお詣りになるのを、世間には知らない人もいたのですね」 と言って、ものの数でもない下っ端の家来まで、さも得意そうに笑うのです。 明石の君は、何ということだろう、ほかに月日もあるのに、わざわざ、源氏の君の参詣なさる今日という日に来合わせて、なまじ源氏の君の御威勢のほどを、よそながら見るにつけ、かえって自分の身分が情けないと、思わずにはいられません。 「とは言うものの、さすがに切っても切れぬ姫君の御縁につながる宿縁だと思うけれど、こんなつまらない身分の者でさえ、何の屈託もなさそうにして、源氏の君のお側にお仕えすることを晴れがましく思っているのに、自分は前世にどんな深い罪があるというのか、片時も忘れる時といってはなく、源氏の君のことをお案じ申し上げていながら、これほどまでに評判の今日の御参詣も知らずに、出かけて来たものか」 などと思いつづけていますと、つくづく悲しくなって、明石の君は、人知れず涙にくれるのでした。 海辺の松原が深緑に中に、花や紅葉をしごき散らしたように見えるのは、人々の袍ほう
の緋や紫の濃淡のさまざまなのです。その人々は数も知れないほど多いのでした。六位の中でも蔵人くろうど
は、帝から拝領の袍の青色が鮮やかに目立っています。 あの須磨下向の時に、 「思へばつらし賀茂の瑞垣みづがき
」 と詠んだ右近うこん の将監ぞう
も、今は衛門えもん の尉じょう
になって、ものものしい随身たちを供にひき連れ蔵人も兼ねています。良清よしきよ
も同じく衛門府の佐すけ になって、誰よりも格別に晴れやかな表情で、大げさな赤色の衣裳を着た姿が、たいそうすっきりと見えます。 どの人も皆明石で見知った人々が、あの当時とうって変わって華やかになり、何の苦労もなさそうな様子で、あちこちに散在していますが、その中に若々しい上達部かんだちめ
や殿上人が、我も我もと競争して、馬や鞍くら
などまで飾り立てて美しく磨き上げているのは、世にも珍しい見物みもの
だと、明石から来た田舎者の目にも思われるのでした。 源氏の君の御車をはるか遠くから眺めますと、明石の君はかえって心が切なくなってたまらず、恋しいお姿を拝む気持にもなれません。河原かわら
の佐大臣源融みなもとのとおる
の先例にならって、童随身わらわずいじん
を帝からいらだいておられましたが、その少年たちがたいそう美しく着飾って、髪をみずらに結い、紫のぼかしの元結も優雅です。背丈も揃ってかわいい恰好のその十人が、特別に目立ってはなやかに見えます。 葵の君がお産みになった夕霧の若君に、この上もなく大切にかしずいて、若君のお馬に付き添う少年たちの様子も、皆揃いの衣裳を仕立てて、ほかの人たちとは、はっきり区別しています。 明石の君は、こうした様子がはるかな雲居の彼方の別世界のものとして、立派だと眺めるにつけても、自分の産んだ姫君が、人数にも入らない有り様でお育ちなのが、たまらなく悲しくなります。それでますます熱心に、祈りを込めて御社の方を伏し拝むのでした。 摂津の国主こくしゅ
が御挨拶に参上して、御饗応きょうおう
の宴を設けますのも、普通の大臣などの御参詣の時よりは特別に、この上もなく丁重に御奉仕したことでしょう。 明石の君はほんとうにいたたまれない思いで、こんな盛儀に、つまらない身でまぎれ込み、僅かばかりの捧げ物を奉納しても、神のお目にもとまらず、数のうちに入れて下さる筈もないだろう、そうかといって、このまま帰るのも中途半端なことだし、今日は難波なにわ
に船を泊めて、せめてそこでお祓はら
いだけでもしようと、そちらへ船を漕いで行きました。 |
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