ところで、故桐壺院にお仕えしていた宣旨
の娘は、宮内卿くないきょう 兼けん
参議さんぎ まで務めて亡くなった人の子でしたが、母に死なれて、頼りない身になって不如意な暮しをする中で可哀そうな状態で子を産んだという噂を、源氏の君はお耳にしていらっしゃいました。その女に親しいつてがあって、何かの折に、その女のことをお耳に入れた女房をお呼びになって、その女房を介して、宣旨の娘に乳母になるよう御契約なさいます。その女はまだ年も若く、世ずれていなくて、訪れる人もないあばらやに、明け暮れ物思いがちに過ごしている心細さでしたから、深く考えてみようともせず、源氏の君に御縁のあることなら、ただもう結構な話だと思い込んで、御奉公させていただく由を仲介の女房にお返事申し上げさせました。源氏の君は一方ではたいそう不憫なとお思いになりながらも、乳母を明石へ出発させることにします。 源氏の君は、何かのついでの折に、たいそうお忍びでその女の家にお立ち寄りになりました。女の方では、ああはお返事したものの、その後どうしたものかと思案に暮れて思い悩んでいたところへ、源氏の君がじきじきお訪ね下さったものですから、ありがたさに、すべての不安が払われて、 「ただおっしゃる通りにいたします」 と申し上げます。 ちょうど吉日でしたので、出発をおせかせになり、 「遠い明石に行けなどというのは、何だか思いやりがないようだけれど、これには特別の事情があることなのだ。このわたしも思いがけないわび住まいの日々をそこで送ったことがあるのだ。そんな例もあったのだからと思うようにして、しばらくの間辛抱しておくれ」 など、事のいきさつをくわしくお話になります。 この女は、昔、桐壺帝の御前に時々出仕していたことがあったので、源氏の君はその顔を御覧になる折もありましたが、今では女はすっかりやつれきっています。家の様子も言いようもなく荒れ果てていて、さすがに大きな構えですが、木立など気味が悪いほど茂っていて、こんな所でどうやって暮してきたのだろうかと思われます。女の人柄は、若々しく愛らしいので、源氏の君はお見過ごしになれません。何かと色めいたお振舞いをなさって、 「明石へやらずに取り返したいような気持になってしまった。どうしたものだろうね」 とおっしゃるのを聞いても、女は、ほんとうに同じことなら、源氏の君のおそば近くにお仕えして、お親しくさせていただけたら、この辛い身の上もさぞかし慰められるだろうにと思って、源氏の君のお姿を拝しています。 |
かねてより
隔へだ てぬ仲なか
と ならはねど 別れは惜しき ものにぞありける (これまでも深い仲には ならなかったふたり それでも別れのこの辛さ 名残惜しさと
ああいとしさよ) |
|
「追いかけて行こうかな」 とおっしゃいますと、女はにっこりして、 |
うちつけの
別れを惜しむ かごとにて 思はぬかたに 慕ひやはせぬ (にわかの別れが惜しいなど よくまあおっしゃいますこと そんな口実にかこつけて
ほんとはあのお方のおそばへ いらっしゃりたいくせに) |
|
もの馴れた返歌ぶりなのを、なかなかやるものだよと、源氏の君は感心なさるのでした。 |