〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/03/20(日) 

澪 標 (二)
翌年の二月に、東宮の御元服げんぷく の儀式がありました。東宮は十一歳におなりですけてど、お年のわりには大人びてお美しいのです。ただ源氏の大納言だいなごん のお顔と瓜二つにお見えになります。お二方が、たいそうまばゆ いように互いに光り輝きあっているお美しさなのを、世間の人々は感嘆してお噂もうします。おれをお耳にされると、藤壺ふじつぼ尼宮あまみや は、ほんとうに居たたまれないお気持になり、今更どうにもならないことにお胸をお痛めになるのでした。
帝も東宮をご立派だと御覧遊ばして、政事まつりごと をお譲りになさるお考えなどを、おやさしくお聞かせになられます。
同じ二月の二十日余りに、御譲位の御沙汰ごさたにわか にありましたので、弘徽殿の大后は狼狽ろうばい なさいました。院は、
「位を下りて、何の えもない身になりましても、これからはゆっくりお目にかかれるようになりたいと思っております」
と申し上げ、大后をお慰めになります。
新東宮には承香殿しょうこうでん女御にょうご の皇子がお立ちになりました。世の中がすっかり改まって、今までとは打って変わって、いろいろ明るいはなやかなことが多くなりました。
源氏の大納言は、内大臣ないだいじん におなりになりました。左右の大臣が二人という定員に満ちていて融通がつかなかったので、員外の大臣としてお加わりになったのでした。
源氏の君は、そのまま摂政せっしょう となって天下の政治をおとりになるべきでしたが、
「そのような繁忙な役職には、とても力が足りません」
と御辞退なさって、しゅうと のかつての左大臣が摂政をなさるようにとお譲りになりました。
「病気のため官職も辞退しておりましたのに、その上、ますます老耄もうろう が加わってまいりまして、とてもはかばかしいことはできそうにありません」
と、もとの左大臣は御承知なさいません。
異国でも、変事が起こり世の中が乱れている時には、山奥に跡をくらました人でさえ、太平の世になれば、白髪の老齢も恥じずに朝廷に出仕したという例があって、そういう人こそ、まことの聖賢と称したものです。一度は病気に悩まされてお返しになられた官職でも、政情が変わって、改めて御就任なさるのに、何のさしつかえがあろうかと、朝廷でも世間でも評定ひょうじょう が一決しました。我が国でも、かつてそうした前例がありましたので、とうとうお断りしきれずに、摂政で太政大臣になられました。お年も六十三歳になっていらっしゃいます。
太政大臣はこれまで、世の中が面白くなかったので、そのためもあって籠居ろうきょ していらっしゃいましたのに、今は政界に戻られ、また昔のように華やかになられたので、お子たちも、これまでは不遇な目に遭っていられたのが、今は皆々出世なさいます。中でもとりわけt、もとのとう中将ちゅうじょう は、権中納言ごんちゅうなごん になられました。北の方のおん腹の姫君が十二歳におなりになられたのを、入内じゅだい させようと、大切に御養育なさっていらっしゃいます。いつかあの 「高砂たかさご 」 をうた った若君も元服させて、今はまことに思い通りの御繁栄です。中納言のご夫人方にお子がたいそうたくさん次々に生れお育ちになって賑わしいのを、源氏の君は羨ましくお思いになります。
太政大臣の姫君あおいうえ がお産みになった夕霧ゆうぎり の若君は、他の子たちよりとりわけ可愛らしくて、中宮と東宮御所へ童殿上わらわてんじょう なさいます。葵の上のお亡くなりになったお嘆きを、母大宮おおみや や父大臣は、若君の御成長を見るにつけて、またあらためて思い出されてお嘆きになります。けれども、姫君御他界の後々も、源氏の大臣の御威光によって、何もかも結構な扱いをお受けになって、長年不遇をかこっていらっしゃった名残もないほどに、お栄えになります。
源氏の君は、昔とお気持が一向に変わらず、太政大臣邸に折節ごとにお訪ねになったりされます。
若君の御乳母めのと たちや、その他の女房たち、またお留守の長い年月、お暇をとらずにずっとお仕えしていた者には、みな適当な折あるごとに、身の引き立つよう、お心にかけておやりになりましたので、おかげをもって幸せになる人が多くなっていくようでした。
二条の院でも、同じように源氏の君の御帰京をお待ちしていた女房を、いじらしくお思いになり、年来の辛い物思いが晴れるようにしてやりたいとお考えになり、中将や中務なかつかさ のような前から情を交わしていた女房には、その身分相応にまたお情けをかけておやりになりますので、お忙しくて外の女君に通われることもありません。
二条の院の東隣にある御殿は、故桐壺院の御遺産でしたが、それをまたとなく結構に御改築になります。花散里の君などのようなお気の毒な方々を住まわせようとお心づもりなさって、修理をおさせになります。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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