〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/03/18(金) 

明 石 (二十一)
ほどもなく元の官位から昇進なさって、源氏の君は定員外の、権大納言ごんだいなごん になられました。源氏の君に連座して罷免ひめん されていたしかるべき人々も、皆、次々元の官職を返していただき、晴れて世間に許されたのは、枯木に春が立ち返ったような心地がして、ほんとうにおめでたそうでした。
帝からお召しがあり、源氏の君は参内いたしました。帝の御前に伺候なさるお姿が、ますます御立派におなりで、どんなふうにしてあんな辺鄙な田舎のお住まいで、長い年月お過ごしになられたのだろうと、人々は思うのでした。女房などのうち、故桐壺院の御在位中からお仕えして、今では老いぼれてしまっている連中は、今更のように悲しさに泣き騒いで、源氏の君に感嘆の声をあげています。
帝も、慙愧ざんき の念と、源氏の君の立派さに、気おくれさえお感じになられて、お召し物など、特に念入りにお整えになって出御しゅつぎょ 遊ばします。このところ何日も帝は御病気の気味でいらっしゃいましたので、たいそうご衰弱になっていられたのですが、ようよう昨日、今日あたりは、すこし御気分もおよろしくお感じなのでした。
しみじみとおふたりでお話をなさるうち、夜になりました。十五夜の月が美しく、あたりがもの静かなので、帝は昔のことを次から次へ、少しずつお思い出しになられて、お泣きになられます。何かと気弱になっていらっしゃるのでしょう。
「管絃の遊びなどもこの頃はしないし、昔聞いたあなたの演奏される楽の音なども聞かなくなってから、ずいぶん久しくなったものですね」
と仰せられますので、源氏の君は、
わたつ海に 沈みうらぶれ ひる の 脚立たざりし 年は にけり
(蛭の児は三歳まで脚立たず わたしの流浪もまた三年 遠い海辺にうらぶれて 蛭児ひるこ のように足 えて 都恋しく過ぎました)
と申し上げますと、帝は実にしみじみと、可哀そうにも、恥ずかしくもお思いになって、
宮柱 めぐりあひける 時しあれば 別れし春の 恨みのこすな
(国生みの神話の神々のように 別れても再会があるのです こうしてめぐりあった今は 昔の別れの春の恨みは もう忘れてほしい)
と仰せになるその御様子は、たいそう優雅でいらっしゃいます。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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