〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/03/14(月) 

明 石 (十六)
源氏の君は、いつかはこうなるとは思っていらっしゃったものの、人の世の無常さにつけても、はたして自分も将来、どうなってしまう身の上かとお嘆きになっていらっしゃったところへ、こうして急に都へ帰れることになろましたので、嬉しくお思いになります。しかしまた一方では、この明石の浦を今を限りと立ち去ることをひどく悲しんでいらっしゃいます。
入道もまた、こなるのは当然のこととは思いながら、御赦免と聞くなり胸もつぶれるような悲しい思いがします。けれども思うままに源氏の君がお栄えになられてこそ、自分の望みもかなうことになるのだろうと、考え直します。
その頃は、一夜も欠かさず源氏の君は明石の君とお逢いになります。六月頃から、女君は痛々しく懐妊の様子で、気分がすぐれず悪阻で苦しんでいらっしゃいました。こうしてお別れなさらなねればならない時になると、源氏の君は皮肉なことに愛情がいや増されるのでしょうか、以前よりも女君をいとしくお思いになって、自分はどうして不思議にも、物思いの絶えぬ身の上なのだろうかと、なやまれ、お心をお乱しになります。
女は改めていうまでもなく深い悲しみに沈みきっています。ほんに無理もないことでございます。
源氏の君も思いのほかの悲しい旅におでにお出になりましたけれど、いつかはきっとまた都に帰って来るだろうと、お心の一方では希望をお持ちになり、御自分を慰めていらっしゃったのでした。それが今度はうって変わって嬉しい都への御出立なのですが、再びこの明石の浦を訪ねることがあろうかろお思いになりますと、感慨無量なのでした。
お供の家来たちも、それぞれの身分につけて帰京を喜んでいます。
京からもお迎えの人々が参りました。みんんあ陽気にはしゃいでいます。その中で主人の入道は涙にかきくれているうちに、その月も終り八月になりました。
季節までが、折からもの悲しい秋の空の風情になったのを御覧になるにつけても、
「どうして、自分から求めてのことながら、今も昔も埒もない色恋沙汰に、わが身を捨てて顧みないのだろう」
と、源氏の君はあれこれお悩みになります。事情を知っている人々は、
「困ったお方だ、またいつもの悪いお癖がはじまった」
と、御様子を見て、こぼしているようです。
「これまではつゆほども人に様子をさと らせず、時々、こっそり人目を忍んでお通いなさるといった冷淡さだったのに、近頃は生憎あいにく なことに、ああもご執心では、かえって女の深い嘆きの種をまくことになるのではないか」
などと、互いにつつきあって陰口をったいています。少納言良清は、入道の娘のことを北山で初めて源氏の君に申し上げた時のことを、人々がひそひそ噂しているのを聞くと、おもしろくない思いでした。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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