〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/03/14(月) 

明 石 (十四)
二条の院の紫の上が、風の便りにでも、このことをお耳にされたりして、隠しだてをされたのだと冗談にもせよ、お感じになって、源氏の君をおうと みになるようなことがあっては、お気の毒であはるし、どんなにか面目もないだろうとお案じなさいますのも、やはりよくよく御愛情が深いからなのでしょう。
こうした浮気沙汰の件については、これまでも紫の上が、さすがにお気にかけてお恨みになられた折々もありましたが、どうしてあの時、つまらない気まぐれの忍び歩きをしては、あんな辛い思いをおさせしたのだろうと、昔を今に取り返したい思いです。入道の娘の様子を御覧になるにつけましても、なおさら、紫の上への恋しさがつのるばかりなので、いつもよりもいっそうお心を込めてお手紙をお書きになります。最後の方に、
「そういえば、ほううとうに我ながら心にもないつまらない浮気をしては、あなたに嫌われた時々のことを思い出すだけでも、胸が痛むのに、またしても不思議なはかない夢を見てしまいました。でもこんなふうに訊かれもしないのに、正直に告白するわたしの包み隠しをしない気持をどうかお察し下さい。あなたと誓ったことは忘れません」
などと書いて、言い訳につとめていらっしゃいます。
「何事につけても」
しほしほと まづぞ泣かるる かりそめの みるめは海人の すさびなれども
(恋しいあなたをしのべば たちまち涙はとどめなくあふれ かりそめに契った女は 旅の仮寝のほんのたわむれ それでもあなたのすまなくて) 
ろお書きになります。紫の上のお返事は、さりげなく可憐な書きぶりで、その終わりに、
「隠し切れずに打ち明けて下さった夢のお話を伺うにつけても、思い当たることが多いのですけれど」
うらなくも 思ひけるかな 契りしを 松より波は 越えじものぞと
(正直に信じきっていたことよ 末の松山を波は越えないように 決して心変わりはしないと 誓ってくれたあなたを信じ 浮気をするなどつゆ思わずに)
と、鷹揚おうよう な書きぶりの中にも、怨んでいらっしゃる気持をほのめかしていられるのに、源氏の君はひどくしみじみと心にこたえて、いつまでもお手にとって読みかえされ、その後久しく、明石に君へのお忍び通いもなさいません。
明石の女は、前々から予想していた通りの結果になったので、今度こそはほんとうに海に身を投げ捨ててしまいたいような気がします。行く末短い両親だけを頼りにして、いつになったからといって人並みになれる身の上とも思わなかったけれど、ただ、何ということもなく、ぼんやり過ごして来たこれまでの年月は、何の悩みがあっただろう。それに引きかえ、男女の仲とはこんなふうに悩みの多いものだったのかと、前から想像していたよりも、すべてにつけて悲しいのでした。それでもさり気ないふうに振舞って、如才のない可愛げな態度で、源氏の君にお逢いしています。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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