明 石
(十一) | 娘が文通の相手としてはふさわしく、思慮深く、気位の高く高慢な態度を見るにつけても、ぜひ逢ってみたいとお思いになりますものの、良清が、まるで娘を自分のもののように話していたのも気に障りますし、また長年心にかけて娘のことを思っていたのだろうに、その目に前で、女を奪い失望させるのも可哀そうだと、色々御思案なさいます。女の方から進んでこちらに出向いて来るなら、そういう次第で仕方がなかったというように、まわりにとりつくろってしまおうとお考えになります。 女は女で、かえって高貴の身分の姫君よりひどく気位が高くて、小憎らしい態度で焦
らすようにしますので、お互いの意地の張り合いのまま、日が過ぎていくのでした。 京の紫の上のことも、こうして須磨の関を越えてさらに西に流されて来てみると、いっそうお心にかかられてどうしていることやらと恋しくて、どうしたらいいだろう、このままにはしておけない、いっそ、こっそりここにお呼び寄せしようかと、気弱いことをお考えになる折もあるのですが、いくら何でも、このままここにいつまでも過ごすことはあるまい、今更、見苦しいことをしてはと、こらえていらっしゃいます。 その年、朝廷では、神仏のお告げがしきりにありまして、物騒なことばかりが多く続きました。三月十三日に、雷鳴が鳴りはためき、雨風が騒がしく吹き荒れた夜、帝の御夢に、亡き桐壺院が、清涼殿の東庭の階段のもとにお立ちになって現れました。院はたいそう御機嫌がお悪くて、帝を睨にら
みつけられたので、帝はすっかり恐縮なさいます。 故院がその時、仰せになったことがたくさんございました。源氏の君のお身の上についてのことだったのでしょうか。帝はその夢をたいそう恐ろしく、また父院をおいたわしく思おぼ
し召して、弘徽殿こきでん の大后おおきさき
にその夢の話をなさいますと、 「雨などが降り、天候の荒れ乱れている夜は、何かそういうように思い込んでいることが、夢に現れるものなのです。そう軽率にお驚きになってはいけません」 とおっしゃいます。 帝は父院がお睨みになった時、御自分の目と父院のお目がはたと合ったと夢の中で御覧になったせいか、その後、お目を患われて、堪えがたいほどお苦しみになります。帝の御眼病平癒のための御物忌ものい
みを、宮中でも、大后の宮でも、数知れずお取り行いになります。 そういう折に、大后の御父、太政大臣がお亡くなりになりました。お年から言えば当然の御寿命でしたけれど、次々に自然に不穏なことがつづきます上に、大后も、どこということなくお加減がお悪くなって、日が経つにつれてご衰弱遊ばすようなので、帝はいろいろと御心痛の種がつきません。 「やはり、あの源氏の君が、無実の罪で、ああしていつまでも逆境に沈んでいらっしゃるから、必ずこの報いがあるにちがいないと思われます。この上はやはり源氏の君、もとの位を与えてやりましょう」 と、お考えになってしきりに仰せられるのですが、大后は、 「そんなことを今しては、軽々しい処置だと世間の非難を受けるでしょう。罪を懼おそ
れて都落ちした人を、三年も過ぎないうちにお許しになられましたなら、世間の人々は何と言い触らすことでしょう」 など、固くお諫いさ
めなさいますので、帝がためらっていらっしゃるうちに、月日が重なっていき、お二方とも、だんだん御病気が重くなられるのでした。
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