老いた入道は涙をおさえきればい様子で、岡の邸に、琵琶や筝
の琴こと を取りにやって、入道自身は琵琶法師になって、たいそうおもしろく珍しい曲を一つ二つ弾きました。 源氏の君には筝の琴をおすすすめしましたので、少しお弾きになります。それを聞いていて入道は、何をなさってもすべてすばらしい御伎倆ぎりょう
なのだと感嘆しきるのでした。それほど上手でもない楽器の音でも、その時と次第で常よりよく聞こえるものです。まして、はるばるとさえぎるものもなお海の景色を前にしては、春や秋の花や紅葉の盛りの時よりも、ただ何ということもなく生い茂っている緑の木蔭が、かえってみずみずしくて、そこへ水鶏くいな
の声が戸を叩くように聞こえるのは <誰た
が門かど 鎖さ
して入れぬなるらむ> という歌を思い出させて、しみじみ興深く思われます。 入道がこの上なくよい音色を出すいろいろの琴をいくつか、まことに優しく優雅に弾き鳴らしているのをお聞きになって、源氏の君は感心なさり、 「筝のの琴は、女が心惹かれる感じで、取りつくろわず気楽に弾くのがいいににだが」 と何気なくおしゃると、入道は娘のことを言われたと勘違いして笑顔になって、 「源氏の君の御演奏以上に、情趣深く弾ける女がどこにおりましょうか。わたくしが延喜えんぎ
の帝の直伝の弾き方を伝授されまして、三代目になるのでございますが、このような不甲斐ない出家の身の上で、俗世のことはすかkり忘れ果てておりますのに、ひどく気分の滅入るような時などには、筝の琴をかき鳴らしていたものです。それを不思議に見よう見真似で弾くようになった者がおりまして、しかも自然に、わたくしの師の前親王ぜんしんのうの御手法に似通っているのです。山伏のひが耳で、松風の音を琴の音と聞き違えているのかも知れません。それにいたしましても何とかして、あれをそっとお耳にお入れしたいものでございます」 と申し上げながら、身をふるわせて涙を落さんばかりの様子です。 源氏の君は、 「わたしの筝の琴などを、琴ともお聞きになる筈のない名人の前でうっかり弾いてしまって、みっともないことでした」 とおっしゃって、琴を押しやられながら、 「不思議に昔から筝の琴は、女が上手に弾くものでした。嵯峨さが
天皇の御伝授で、女おんな 五ご
の宮みや が、当時の名手として名高かったのですが、そのお血筋の中には、これといって弾き伝える人はおりませんが、こちらに、こうした正しい奏法を人知れず弾き伝えた方がいらっしゃったとは、実に興味深いことですね。ぜひとも聞きたいものです」 とおっしぃます。入道は、 「お聞き下さいますなら、何の御遠慮がございましょう。お前にお呼び下さいましても結構でございます。昔、白楽天は商人の中でさえ、琵琶の古典を人を好んだということでございます。琵琶というのは、本当の音色をしっかり弾きこなす人は、昔にもめったにないものでしたが、娘はどうやら実にすらすら弾きこなしまして、心にしみる奏法などが人と違っていて、格別でございます。どうやって覚えこんだものでございましょうか。娘の琵琶の音が荒い波の音にまじって聞こえるのは、こんな辺鄙へんぴ
な地に暮させてと、悲しく思われますが、またその音によってわたくしの積もる愁いが慰められる折々もあるのでございます」 などと、風流人めいて言いますので、源氏の君は面白くお感じになり、筝の琴を琵琶ととりかえて、入道にお与えになります。なるほどたしかに、たいそう上手に筝の琴を弾くのでした。今の世には知られていない奏法を身につけていて、手さばきはたいそう唐風で、左手で絃をゆすってうねらす音などは、深く澄み通っています。ここは伊勢の海ではないけれど、催馬楽さいばら
の、<伊勢の海の、清き渚に貝や拾はむ> などと、声のよい者に歌わせて、源氏の君御自身も時々拍子をとって、声を合わせてお歌いになるのを、入道は、筝の琴を途中でたびたび弾きやめては、お讃め申し上げます。 お菓子などを目新しい趣向をこらしてさし上げ、お供の人々には酒を無理にすすめたりして、自然に日頃の愁いも忘れてしまいそうな今宵の有り様でした。
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