四月になりました。一日からの衣更
えの源氏の君の御衣裳や、お部屋の御帳台みちょうだい
の垂れ絹など、入道が万事につけて趣向を凝らして懸命にお世話申し上げますのを、源氏の君は気の毒で、そんなにしないでもよいのにとおおもいになりますが、入道のあくまで気位高く持っている人柄の気品に免じてゆりしていらっしゃいます。 京からも、ひっきりなしに次から次へとお見舞いの手紙が沢山届きます。のどかな夕月夜に、海の上が曇りなく明るく見渡されるのの、住み馴れていらっしゃった二条の院の池の水かと、ふとおおもいになるにつけても、言いようもなく恋しくて、どこへともなくあてどもなくさ迷うような心細いお気持になられるのですが、目の前には、ただ淡路島あわじしま
が浮かんでいるだけなのでした。<淡路にてあはとはるかに> などと古歌を口ずさまれて、 |
あはと見る
淡路の島の あはれさへ 残るくまなく 澄める夜の月 (あれは淡路島か、あわれと 昔の人の眺めた島の風情まで わたしの望郷の想いに重ねて
残るくまなく照らしている 澄み渡った今宵の月よ) |
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とお詠みになり、久しい間お手に触れなかった琴きん
を、琴袋からお取り出しになられて、ほんのわずかかき鳴らしていらっしゃく源氏の君のおすがたを、お側でお見上げする人々もお気の毒でたまらず、せつなく悲しく思い合うのでした。 広陵こうりょう
という曲を秘術を尽くして思う存分お弾きになりますと、あの岡の家にも、琴の音色が松風や波の音に響き合って伝わって来て、たしなみのある若い女房たちは、身にしみる思いで耳をかたむけて聞いているようです。何の音とも聞き分けられそうもないあちらこちらの田舎者たちも、美しい琴の音に気もそぞろになって、浜風の中を浮かれ歩き、風邪をひいたりする始末です。 入道もたまらなくなって、御仏みほとけ
に供養する作法も怠って、急いで浜辺の邸に参上しました。 「すっかり捨て去りました世俗のことも今更に、あらためて思い出しそうな君の琴の音色でございます。来世で生まれたいと願っております極楽の有り様もこんなふうかと想像されまして、今宵の風情は格別でございます¥」 と言って、感涙にむせびなふがら、賞めそやし申し上げます。 源氏の君御自身も、折に触れて催された宮中の音楽の御催しや、その時のあの人この人の琴きん
や笛の音、またその歌いぶりなど、その折々につけて人々から賞讃された御自身の有り様や、帝を始めとして、多くの方が御自分を大切にし、敬っていられたことを、その頃の人々のことも、御自身の身の上も、次々お思い出しになられて、すべては夢のような気がなさいます。興にまかせてかき鳴らされる琴の音色も、心に冷え冷えと悲しく、しみわたるように聞こえます。
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