〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/03/02 (水) 

明 石 (五)
例の不思議な風がまや吹いてきて、船は飛びように明石に着きました。須磨から明石へは、ほんの一またぎの近さなので、さして時間もかからないとはいえ、それにしても、怪しいほどの不思議な風の働きでした。
明石の浜の景色は、なるほど須磨よりは格別の趣があります。人が大勢いることだけが、源氏の君の御希望にそいませんでした。
入道の所領地は、海辺にも山蔭にもあって、四季折々につけて、海辺には、興趣をもよおすように特に作った軽やかな苫屋とまや もあれば、山沿いの地には谷川のほとりに、立派な御堂を建て、勤行三昧ごんぎょうざんまい後世ごせ にことを静かに念ずるのにふさわしく造られています。現世の暮しの用意には、秋の田の米を刈りおさめて、余生を豊かに暮すようにした米倉の町をつくるとか、折につけ、所につけ、それぞれにふさわしい趣向をこらして建てたものが集めてあります。
この間の高潮に恐れをなして、入道の娘などは、近頃岡の方の邸に移して住まわせていますので、源氏の君はこの浜辺の邸にのどやかにお住まいになることになりました。
船よりお車にお乗り換えになる頃に、日がようやくさし昇ってきて、入道は源氏の君のお姿をほのかに拝します。するとたちまち、老いも忘れ、寿命も延びるように感じて、嬉しさに相好そうごう をくずして、まず住吉の神を、とにもかくにも伏し拝むのでした。まるで月と日のふたつながらの光をわが手に納めたような思いがして、夢中になって源氏の君にお仕え申し上げるのも無理もないことでした。
明石の浦の景色は言うまでもまく、入道が邸宅の造作ぞうさく に凝らした趣向や、木立こだち石組いしぐみ 、植え込みなどの風情、何とも言いようもないほどすばらしい入り江の風景など、もし絵に描くとしても、修行の浅い絵師では、とても写しきれまいと思われます。これまでの須磨のお住まいよりは、この上もなく明るい感じで、お気に召していらっしゃいます。
お部屋の設備なども、申し分なく支度されていて、そうした入道の暮らしぶりなどは、なるほど都の高貴な人々の邸宅と変わりなく、優雅できらびやかな様子などは、むしろこちらがすぐれているようにさえ見えます。
少しお気持が落ち着かれてから、源氏の君は京へのお手紙をあちらこちらへお書きになります。紫の上のもとからやって来た使いの者が、
「今度はとんでもない使いの旅に出発して、ひどい目にあってしまった」
と泣き沈んで、今でもまだ須磨に逗留しているのをお呼び寄せになって、身に余る結構な品々をたくさん授けられて、京へお帰しになりました。京で親しくいていられた祈祷師きとうし たちや、しかるべきそれぞれの方たちには、この間からの御様子をくわしくお知らせなさったことでしょう。
藤壺の尼宮へだけは、不思議にも命拾いをなさったことの次第などを特に御報告申し上げます。
二条の院の紫の上からの、心打たれたお手紙へのお返事は、すらすらお書きにもなれず、筆を休め休めしては、涙をおしぬぐわれながらお書きになります。その御様子はやはり格別なのでした。
「重ね重ね、これ以上ないという辛い目を経験いつくしてしまった今の私ですから、もうこてまでと、世を捨て出家したい心ばかりがつのりますけれど、一方では、あなたが 『鏡を見てもなぐさめまして』と詠まれた時の面影がいつも身に添い、わたしから離れる折もありませんので、こうしてお逢いすることも出来ないまま出家してしまうのかと思うと、この日頃のとても悲しいいろいろな辛い思いは、まずさし置いてという気になり」
はる かにも 思ひやるかな 知らざりし 浦よりをちに 浦づたひして
(はるかに思い恋い慕うのは ただあなたのことばかり 見も知らなかった須磨の浦から なおもはるかな明石に浦に 流れ来た悲しみの中にも)

まるで夢の中にいるような気ばかりして、まだその夢がさめきらぬような、ぼんやりした思いですから、さぞかし変なこともたくさん書いたことでしょう」
と、たしかに取りとめもなく乱れがちにお書きになっていらっしゃるのが、かえって、はたから覗いて見たくなるほどなので、やはり紫の上はこの上なく深く御寵愛されていらっしゃるお方なのだと、供人たちの目にはうつるのでした。その人たちもめいめい京の留守宅へ心細そうな言伝ことづて を頼むようでした。

源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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