二条の院の紫の上は、時が経つにつれてお心のやすらぐ折もありません。東の対で源氏の君にお仕えしていた女房たちもみな、西の対に移って来て紫の上にお仕えするようになったはじめの頃は、紫に上を、まさかそれほどのお方でもないだろうと、たかをくくっていましたが、お側近くでお仕えして見慣れるにつれて、おやさしく美しい御様子といい、何につけこまやかな御配慮をなさるお心遣いも、思いやりが深くあたたかなので、お暇をいただいて去って行く人もありません。身分の高い女房たちには、時にはお姿をお見せになることもあります。その人たちは、たくさんいらっしゃる源氏の君の女君の中でも、とりわけ君が大切になさり、深く御寵愛なさるのもごもっともだと、納得するのでした。 須磨の方では、御滞在が長引くにつれて、たいそう紫の上が恋しくて、耐え難いほどになられますけれど、自分でさえ、何という浅ましい運命かと嘆かれるこの侘住まいに、どうして一緒になど暮せよう、そんなことはとうてい不似合いで不可能なことだとお思い返しになるのでした。 こうした田舎の土地柄なので、万事につけ都とは風習が変わっていて、都ではついぞ御存知なかった珍しい下々の暮らしぶりも、はじめて見聞きなさっては、我ながら今の境涯が情けなく不都合にお感じになります。 煙がたいそうま近に立ちのぼるのを、これこそ海人
の塩焼く煙だろうとお思いになっていらっしゃったのは、お住居のすぐ後ろの山に、柴というものをけぶらせていたのでした。珍しくお思いになって、 |
山がつの
庵いほり に焚た
ける しばしばも 言こと 問と
ひ来こ なむ 恋ふる里人 (侘しい山里の庵に柴たく煙
それを見るにつけ 恋しい都の人々よ わたしを忘れずもっとしばしば 訪れてほしいもの) |
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とお詠みになります。
冬になり雪が吹き荒れる頃になりました。空の景色も、とりわけもの淋しく荒寥こうりょう
としているのを、源氏の君はつくづく御覧になって、心任せに琴きん
をお弾きになり、良清に歌わせ、惟光これみつ
に横笛を吹かせてお遊びになります。心を込めて情趣深い曲などを源氏の君がい弾きになりますと、ほかの楽器の音は申し合わせたように止まってしまって、人々は涙を拭きあっています。昔、漢の皇帝が胡こ
の国に妃としてやられた王昭君おうしょうくん
のことをお思い出しになり、 「自分にもましてその時の漢帝の胸中は、どんなだっただろうか、今この世で最も愛いと
しく思っている紫の上などを、もしそんな遠くへ手放してしまったなら」 などと想像なさるだけでも、それが本当に起こって来そうな、不吉な感じがして、<霜しも
の後のち の夢ゆめ
> と、王昭君の詩を吟じられます。 折から月がたいそう明るく差し入って、かりそめの粗末な旅の御座所では、月の光に奥まで隈なく見えるのです。床の上に横たわりながら、夜更けの空も眺められます。山の端に入ろうとする月の光がもの寂しく見えるのでした。源氏の君は、<ただこれ西に行くなり>
と菅公の詩句をひとりごとのように口ずさまれて、 |
いづかたの
雲路くもぢ にわれも 迷ひなむ 月の見るらむ
ことも恥づかし (空ゆく月は一筋に 西に向かって急ぐのに 故郷ふるさと
遠くさすらうわたし これからどこまで迷うやら 月の見るのも恥ずかしい) |
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いつものように、物思いに眠られぬまま明けてしまった空に、千鳥の鳴き声がたいそうあわれに聞こえます。 |
友千鳥
もろ声に鳴く 暁は ひとり寝覚ねざめ
の 床もたのもし (友を呼びかわして 鳴く友千鳥の声のする 夜明けには ひとり寝覚 の涙の床も なぜか頼もしく思われる) |
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ほかに起きている者もいないので、繰り返し独り口ずさみながらお寝やす
みになります。 明け方まだ暗いうちに、お手水ちょうず
をお使いになって、お念仏をお称えなどなさいますのも、お仕えする者たちには、珍しいことのように思われます。ただもう有り難いこととしか思われないので、人々はとてもしんな源氏の君をお見捨てして、京のわが家に一時にせよ、帰ろうとはしないのでした。 |