〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/02/21 (日) 

須 磨 (十一)

京ではこれらのお手紙を、あちらでもこちらでも御覧になりながら、悲しみのあまりお心を乱される方々ばかりがたくさんいらっしゃいます。二条の院の紫の上はお手紙を読むなりずっと寝ついておしまいあになって、尽きることもない悲しみに沈む込み、ひたすら源氏の君に思い焦がれていらっしゃいます。女房たちもどうお慰めしようもなく、心細く思い合うばかりでした。
紫の上は、いつも源氏の君がお使いになっていられた御調度などや、弾き馴らしていらっしゃってお琴、お脱ぎ捨てになられたお召物に染みついた匂いなどにつけても、今はまるで源氏の君がこの世にいらっしゃらない方のように、お嘆きになるのです。一つにはそれが縁起でもないので、乳母の少納言は、北山の僧都そうず にご祈祷のことなどを御依頼しました。僧都は二つの祈願のために御修法みずほう をおさせになります。一つは、源氏の君の御ために、もう一つは、紫の上の、このように悩み嘆かれるお心を静め、安らかになられますようにと、おいたわしいあまりにお祈りになります。
紫の上は、旅先の源氏の君の御夜着などを用意して須磨にお送りになります。?かとり の無紋の御直衣のうし指貫さしぬき などを整えるにつけ、これまでのときとはすっかり変わってしまった気持ちがするのも悲しいのに 「去らぬ鏡」 とおっしゃった源氏の君の面影が、あのお歌の通り、影も離れず、今も身に付き添うように思われるにつけても、やはり御本人がいらっしゃらないのでは、何の甲斐もありません。
常々源氏の君が出入していらっしゃったお部屋や、もたれておいでになった真木柱まきばしら などを御覧になるにつけても、胸がいっぱいになるばかりなのです。物事をさまざまな角度から角度から考えることが出来る、世間の経験を積んで来た相当の年輩の人でさえそうなのに、まして紫の上は、源氏の君に馴れ睦まれて、源氏の君が父母にもなり代わって、育ててこられましたので、そのお方とにわかにお別れになってしまったのですから、恋しくお慕いになられるのも当然なのでした。それも、全くお亡くなりになってしまわれたのなら、言っても仕方のないことですし、日が経てば次第に忘れ草も生い茂って忘れていくということもあり得ることでしょう。けれども、須磨は話では近いけれど、実際は聞いていたよりははるかに遠くて、いつまでと期限の決まったお別れでもないのですから、思えば思うほど、お嘆きは果てしもなく尽きないのでした。
藤壺の尼宮におかせられても、東宮の御将来をお案じなさるにつけ、源氏の君の失脚をお嘆きになることは申すまでもありません。おふたりの前世からの因縁の深さをお考えになりますと、源氏の君のお身の上を、どうして並々のお気持でお思い過ごしになれましょう。
これまではやだ世間の噂などが怖くて、少しでも情のあるそぶりを見せたら、それを見とがめて人がとやかく噂をはじめはしないかとばかりおびえて、ただもうこらえ忍びながら、源氏の君の切ないお心をも、大方は見て見ぬふりをなさり取り付く島もない冷たい御態度でいらっしゃったのした。ところが、これほどまでに煩わしい世間の人の口の にも、このことだけはついに全く上らないまま過ぎてきたのは、源氏の君の方でもそういうお心遣いをなさって、一途な恋心のはやまるままにはまかせず、一方では体裁よく、本心をひた隠しにしていられたからなのだと、今ではあの頃のことをしみじみなつかしくも思い、源氏の君をどうして恋しくお思い出しにならずにはいらっしゃれましょう。
お返事も、あの頃よりはいくらか情をこめて、細やかにおしたためになられるのでした。
「この頃は前にもまして、ひとしお」

塩垂しほた るる ことをやくにて 松島に 年ふる海人あま も なげきをぞつむ
(お帰りを待ちながら 松島に年を送っている 海人のようなわたしも 涙にくれて塩垂れることを 自分のつとめにただ嘆くばかり)
朧月夜の君からのお返事には、
浦に海人あま だにつつむ 恋いなれば くゆけるけぶりよ 行くかたぞなき
(須磨の浦に塩焼く海人さえ 人知れず秘めて包むは恋ごころ わが恋も忍び包めば火と燃える こころの煙のふすぶって 行方もないのがただ悲し)
「今さら申し上げるまでもないことの数々、とても筆には出来ません」
とだけの、短い文面で、中納言の君の手紙に中に一緒に入っていました。中納言の手紙には朧月夜の君が悲しみに沈んでいらっしゃるご様子などが、こまごまとしたためられています。源氏の君は朧月夜の君をいとしいともあわれともお思いになることも多くて、ついお涙があふれるのでした。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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