〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Y』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/02/20 (土) 

須 磨 (九)
御出発のその日は、終日紫の上とゆっくりお話になってお過ごしになり、旅立ちの習慣として、夜も深く更けてからお出かけになります。狩衣かりぎぬ などの旅の御装束もたいそう粗末におやつしになられ、
「月がすっかり出ましたよ。もう少しこちらへお出になって、せめて見送りだけでもして下さい。これからは、どんなにか話したいことがたくさん胸につもったと思うだろう。一日、二日たまに逢わないでいた時でさえ、妙に気がめいってふさいでしまったものなのに」
と、御簾みす きあげて、端近にお誘いになりますと、紫の上は泣き沈んでいらっしゃいましたけれど、気持を静め、にじり出て来られました。そこに坐っていらっしゃるお姿は、月の光に照らされて、限りなく美しくお見えに「なります。
「自分がこうして流罪のまま、須磨ではかなく死んでしまったなら、この人はどんな哀れな境遇に落ちてさすらわれることだろうか」
と、気がかりで悲しくてなりませんけれど、紫の上が悲しみ沈んでいらっしゃるのに、何か言えばいっそう悲しませそうなので、

生ける世の 別れを知らで 契りつつ 命を人に 限りけるかな
(生別というさだめの この世にあることも知らず 君を得てより 愛は命の限りにと 契ったことよ)

「思えばはかないお約束でした」
など、わざとさりげなく申し上げますと、

惜しからぬ 命にかへて 目の前の 別れをしばし とどめてしがな
(惜しくもない わたしの命とひきかえに ただ目の前の別れこそ つかの間なりとも 止めたいものを)

と、お答えになるのを聞かれて、源氏の君はいかにもと、そのお気持をお察しになり、いよいよこの方を見捨てて旅立ってしまうのを辛くお感じになります。それでも、夜がすっかり明けてしまったなら、世間体も悪いだろうと、急いで御出発なさいました。
道すがらも紫の上のおもかげ がぴたりと身に寄り添っているようで、胸もふさがる思いのまま、船にお乗りになりました。日永のところへ、追い風まで加わって、翌日の午後四時頃には、須磨の浦にお着きになりました。
ほんのお近くの御遊山ゆさん にも、こうした船旅の御経験はなさらなかったので、心細さも面白い風情も、とりわけ珍しくお感じになります。
昔、伊勢の斎宮さいぐう の御帰京の宿りとした、大江殿おおえど といったところは、今はたいそう荒れはてていて、松だけが名残としてそこに残っています。

唐国からくに に 名を残しける 人よりも 行くへ知られぬ 家居をやせむ
(唐国の人屈原は 無実の罪にさすらって 汨羅の淵に身を投げた 屈原いもましてあわれこの身は どこにさすらい行くことか)

渚に波が寄せては返すのを、御覧になられて、<うらやましくもかへる浪かな> と口ずさまれるのは、誰もが知っている古歌なのに、何か特別こと新しい歌のように聞かれて、お供の人々も悲しくてたまらなくなるのでした。
源氏の君がふり返って御覧になりますと、越えて来られた山は、はるか霞みの彼方になり、まことに <三千里の外> という白氏文集の中の左遷の身を嘆く詩の言葉も思い出されて、心も切なくなり、かいしずく のように涙が耐え難く流れます。

故郷ふるさと を 峰の霞は 隔つれど ながむる空は おなじ雲居か
(はるか故郷の都は 峰の霞に隔てられ 見えないけれど仰ぎ空 都の残したかの人も 同じ思いに仰ぐかと)
何ひとつとして、悲しくないものはないのでした。
源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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