夜が明けきった頃、二条の院にお帰りつきになって、東宮にもお便りをおさしあげになります。東宮には王命婦
が今は藤壺の尼宮のお身代わりとしてお付き添いしていますので、そn部屋にあてて、 「今日はいよいよ都を離れます。今一度の参上が叶わないままになってしまったのが、数々の悲しみにもまして切なくてたまりません。何事も御推察の上、東宮によしなに御伝え申し上げてください」 |
いつかまた
春の都の 花を見む 時うしなへる 山賊にして (いつの日か春の都の桜花 ふたたび見る日があろうかと 時に捨てられ見放され
山賊めいて流浪する 落ちぶれ果てたこの身には) |
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桜に花の散り過ぎて淋しい枝に、このお手紙をつけてお届けになりました。王命婦が、 「このようなお文が源氏の君から届きました」 と、東宮に御覧に入れますと、御幼少ながらも真剣なお顔で御覧になります。 「お返事は、どうお書きいたしましょうか」 と、王命婦が申し上げますと、 「しばらく逢わなくても恋しくてならないのに、遠く離れて行ってしまったら、どんなに淋しいだろうと、言っておくれ」 と、仰せられます。何というあっけないお返事だろうと、王命婦はしみじみいじらしく悲しく思わずにはいられません。 どうしようもなく切ない恋に、源氏の君がお悩み遊ばしていらっしゃった昔の頃の、折々のあれやこれやの御様子が、次から次へと思い出されるにつけても、何の苦労もなしに、源氏の君も藤壺の宮もお過ごしになられたはずのお身の上なのに、御自分から求めてお苦しみになられたのだと思われます。それもこれも自分の浅はかなお仲立ちのひとつのせいのように思われて、王命婦は今更、つくづく後悔するのでした。お返事は、 「ほんとうに何と申し上げてよいやらわかりません。東宮さまへはたしかにお取次ぎ申し上げました。東宮さまがいかにもお心細そうに沈んでいらっしゃる御様子がおいたわしくて」 と、とりとめもない文面なのも、王命婦の心が悲しみにかき乱されているからなのでしょう。 |
咲きてとく
散るは憂けれど ゆく春は 花の都を 立ち帰り見よ (咲くかと見れば早々と散る 桜の花ははかないけれど まためぐりくる来春こそ
君もまた花の都に帰りきて 咲き匂う花を愛め
でませ) |
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「時節さえめぐってまいりましたならば」 とお返事をしたためて、その後も女房たちと、しみじみ悲しい思い出話をしながら、東宮御所の人々は、互いにみな忍び泣きあっているのでした。 源氏の君を一目でも拝したことのある人は、このように、思い悩みしおれきっていらっしゃる今の源氏の君の御様子を悲しみ、残念にお思いしない者はありません。ましていつもお側近くお仕えしていた者は、源氏の君が御存じのはずもない下仕しもづか
えの女や厠かわや 掃除の下女たちにいたるまで、これまではこの上なく厚い御庇護のお恵みにあずかっていましたので、しばらくの間でもお姿の拝することの出来ない月日を過ごすのかと、嘆き悲しんでいるのでした。 世間の大方の人々も誰がこの事件を並一通りにお思い申しましょうか。七つにおなりになってからこのかた、御父帝のお傍に夜も昼もいらっしゃって、源氏の君から帝に奏上なさったことで、通らなかったことはありませんでしたから、官位などのことで、源氏の君のお蔭を蒙こうむ
らなかった者はなく、その御恩コを、感謝申し上げない者があったでしょうか。貴い身分の公卿くぎょう
や、中堅の官僚などの中にも、そうしてお陰を蒙った人たちは多かったのです。それより下級の者はその数も知れません。その人たちは御恩コを身にしみて感じていないわけではないのですけれど、さしあたっては現実のきびしい時勢を恐れ憚って、源氏の君に方にお訪ねして来る者もありません。世間が騒然として、誰もが源氏の君をおいたわしく思い、心の内では朝廷を非難し恨んでおりますものの、わが身を捨ててまでお見舞いに伺っても、何の甲斐があろうかと思うからなのでしょうか。 こうした場合には、外聞は悪くなり、恨めしく思われるほど、冷たい人ばかり多くなって、つくづく世の中は味気ないものだと、何事につけても思いしらされていらっしゃいます。
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