今は三位
になられた頭とう の中将ちゅうじょう
もそこへ参上なさって、御一緒に酒などおあがりになるうちに、夜も更けてしまいましたので、源氏の君はお泊りになられ、女房たちを御前にお呼び寄せになって、お話などをおさせになります。 他の女房よりは格別に、ひそかに情けをかけていらっしゃった中納言ちゅうなごん
の君きみ という女房が、胸の思いを口にすることも出来ず、悲しそうにうち沈んでいる様子を、源氏の君も人知れず不憫にお思いになります。 人々が皆寝静まった後、源氏の君は中納言の君と、とりわけしみじみと睦むつ
まじくお話になります。おそらくこの人のために、今夜はここにお泊りになられたのでしょう。 明くる朝は、まだ暗いうちに、お帰りになります。折から空には有明ありあけ
の月が、たいそう美しく見えます。 桜の木々はしだいに盛りが過ぎて、わずかに咲き残っている木陰に落花が白く散り敷いています。 庭にはうっすらと、一面に朝霧が立ち込めて、ぼうっと霞んでいるのが、秋の夜のしみじみした風情より、はるかにまさっています。 源氏の君は縁の隅すみ
の欄干らんかん によりかかられ、しばらく庭を眺めていらっしゃいます。中納言の君はお見送り申し上げるつもりなのか、妻戸つまど
を押し開けて控えております。 「再び逢えるのはいつのことか、思えばほんとうに難しいことだね。こういう世の中になるとも知らないで、逢おうと思えば何の気がねもなしにいくらでも逢えた月日を、よくもおんびり構えて逢わずにいたものだ」 と源氏の君がおっしゃるので、中納言の君は、言葉もなくただ泣くばかりでした。 若君の御乳母めのと
の宰相さいしょう の君きみ
をお使いにして、大宮おおみや
から源氏の君に御挨拶がありました。 「わたくしがお目にかかって親しく御挨拶申し上げたいのですが、あとさきも分からないほど悲しみにかきくれて、取り乱しておりますので、少し気を静めてからと思っておりますうちに、まだ夜もたいそう深いこんな時に、はやもうお帰り遊ばすとは、昔とすっかり様子の変わった心地がいたします。いじらしい若君がぐっすり寝入っておりますので、目を覚ます間だけでも、少しはお待ち下さいましたなら」 とおっしゃいますので、源氏の君もお泣きになって、
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鳥辺山
とりべやま もえし煙 けぶり
も まがふやと 海人 あま の塩やく
浦見 うらみ にぞ行く (恋しい人の亡骸
なきがら を焼き 鳥辺山に立った煙よ もしやそれに似ていないかと
海人の塩焼く須磨の浦まで はるばると煙を見に行くのだ) |
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お返事というでもなく口ずさまれて、 「暁の別れというものは、こんあんいも辛いものだろうか。この辛さを分かってくれる人もあるだろうね」 とおっしゃいますと、宰相の君は、 「いつに限らず、別れという言葉はいやなものでございますけれど、とりわけ今朝のお別れの辛さは、やはり比べようもないような心地でございます」 と、涙まじりの鼻声でいい、見るからに悲しそうにしています。 大宮へは、 「お話申し上げたいことも、胸にあふれるばかりですけれど、ただもう悲しみに心も閉ざされていて、申し上げることも出来ない気持をお察し下さいませ。ぐっすり寝入っている幼い人のことは、もう一度顔を見ますと、かえって憂き世を逃れにくくなるに違いございませんので、無理にも心を鬼にして、逢わずに急いでお暇
いとま いたします」 と申し上げられました。 源氏の君のお帰りになるお姿を、女房たちは覗のぞ
いてお見送りしています。西の山の端に入りかけた月の光が、まことに明るい中に、源氏の君がひとしお優雅にお美しく、物思いに沈み込んでいらっしゃるおのお姿は、猛々たけだけ
しい虎や狼でさえ泣かされることでしょう。まして、源氏の君がまだ御幼少でいらっしゃった頃から、お馴染申し上げて来た人々なのですから、変わり果てた今のたとえようもないおいたわしい御境遇を、絶え難いほど悲しく思うのでした。 ほんとにそういえば、大宮の御返事は、
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亡き人の 別れやいとど
隔たらむ 煙けぶり となりし
雲居くもい ならでは (はるかな旅に立つあなた
亡き人との別れも いよいよ遠ざかる 煙となったあの人の 都ではない遠い海辺に) |
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とありました。悲哀はいや増し加わって¥、尽きるところも知りません。 源氏の君がお帰りになってしまった後も、女房たちは不吉なまでに泣き合うのでした。 |