「葵」
の帖よりも長く、重大な事件が盛り込まれた、息もつかせぬ面白い帖である。 源氏二十三歳の秋から、二十五歳夏までのことが書かれている。賢木は榊で、葵と同様神事に使う植物である。 「桐壺」
から始まって、 「賢木」 は十帖めに当る。十帖まで読み進んで来て、物語は一つの波のうねりの頂点を見せる。好みもあるだろうが、私は十帖の中では 「葵」 と 「賢木」
が対になっていて面白いし、特に卓越していて、小説の醍醐味が満喫できる。 この帖では大きく分けて、三つの重大な話の山がある。一つは、六条の御息所との野の宮の別れ。二つには藤壺の出家、三つめは、朧月夜との密会の露見ということである。 三場面ともスリリングで息もつかせない。 六条の御息所は、すっかりこじれてしまった源氏との仲に絶望して、伊勢下向を決心する。斎宮は野の宮での一年間の潔斎ののち、九月には伊勢へ下る。斎宮と共に野の宮の潔斎所に居る御息所は、伊勢へ行く日が近づくにつれ心細く悲しくなる。源氏の君への断ち難い未練を強いて断ち切って、都を離れて行こうと決心している。 出発の日も間近になった九月七日ごろの一夜、源氏はさすがに名残惜しくなり、ついに野の宮へ訪ねていく。御息所はこのごろしきりに来る源氏の手紙でそれを知っていたが、複雑な気持で迷いながらも、物越しの体面ぐらいならと、心の底では待っていた。 「遙けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり」 ではじまる嵯峨野
の風景描写は美しい。原文でもそのまま分かるし、声に出して読めばいそおう美しく調子のいい文章である。かれがれの虫の音にまじり、楽の音がかすかに聞こえて来る。黒木の鳥居も簡潔な潔斎所は、小柴垣の囲まれて、板屋の仮普請めいた建物があちこちに見える。いかにも神々しい雰囲気でもの淋しい。この期に及んでまだ逢う決心がつきかねて迷っている御息所に、源氏は昔の、互いに恋の情熱に燃えていた頃を思い出させて、言葉の限りを尽くし、伊勢行きを思いとどまらせようとする。もともと未練のある御息所は、夜通しかき口説いて伊勢行きをやめてくれという源氏のやさしさと情熱に、やはり予想した通り、逢えばかえって辛く苦悩が深まったと歎く。 御息所と斎宮の出発の日、源氏は二条の院で、紫の上の所にも行かず、とりとめもないもの思いに沈み込んでいた。
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