末
摘つむ 花はな
(二) | 姫君のあまりの不器量さと、宮家の零落の様子に同情して、源氏はかえって見捨てられなく世話をつづける。 日増しに可愛らしさを増す紫の姫と二条の院で遊びながら、源氏は自分の鼻を紅粉で染めて見せ、悪ふざけをしてみせるのだった。 この帖は、末摘花があまりにひどく残酷なまでに書かれているので後味が悪いという批評もある。私は、これは紫式部がこうした滑稽譚も書ける技量を持っていることを見せたかったのではないかと思う。たとえば
「竹取物語」 の中の求婚者たちの失敗談なども、当時の読者は現代の我々よりもっと滑稽に感じて受け止めていたのではないだろうか。そして物語という娯楽性の中には、悲劇的な深刻な話ばかりでなく、こうした滑稽譚もあって、息を抜くという方法もあったのではないふぁろうか。 この帖では、作者からも読者からも、作中人物たちからも笑い者にされている末摘花が、後には
「蓬生よもぎう 」 の帖で、嘲笑出来ない生一本な、誠実で純な性格として描き出されている。作者の意図はどうであれ、私などは、末摘花のような融通の利かない世間知らずの思い込みの深さにこそ、真の貴族というものの鷹揚な品性を見る思いがする。 源氏が何度も通いながら、末摘花の顔をはっきりと見るのは、雪の日の朝だったというのは、当時の逢瀬の夜は今からは信じられないほど暗かったということである。 空蝉のつもりで継娘の軒端生のきば
の荻おぎ を、まちがえて源氏が犯してしまった話しも、やはり灯のない闇の中の出来事であった。 |
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