〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/02/12 (金) 

賢 木 (二十四)

夏の雨がのどかに降って、所在のないある日、頭の中将は、見どころのある詩集などを、たくさん供人に持たせて源氏の君をお訪ねになりました。源氏の君も、書庫を開けさせられて、まだ開いたこともないいくつもの御厨子みずし の中にある、珍しい古詩集の由緒のあるものを少し選び出されて、漢詩文にたずさわっているその道の人々を、ことさらにではなく大勢お召しになりました。
殿上人も大学寮の学者たちも、実にたくさん集まって来ます。その人数を左方と右方と入れ違いに二組に分けて、互いに勝負をさせられ、数々の賭物かけもの なども、類いないほど立派なものを出されました。
韻塞ごを進めていくにつれて、難しい韻の文字がたいそう多くなって、世間に名の聞こえた博士たちでさえ、まごついてしまう所々を、源氏の君が時々お口添えなさる御様子は、全くこの上ない御学才の深さでいらっしゃいます。
「どうして、このようにすべての才能に けていらっしゃるのでしょう。やはり前世からの宿縁で、あらゆることが、人よりすぐれて生まれついていらっしゃくのでしょうか」
と、人々は賞賛し合うのでした。勝負はついに頭の中将の方が負けてしまいました。
それから二日ばかりして、負けた頭の中将が、勝者の源氏の君方を招き、まけ饗宴きょうえん をなさいました。あまり大げさではなく、さまざまな風雅な檜破籠ひわりご や、賭物などを色々お出しになり、今日もこの間出席した人々を大勢お呼びになって、漢詩などをお作らせになりました。
階段ののもとの薔薇そうび がほんの少しだけ開いて、春秋の花盛りの時よりもしっとりと風情のある頃なので、人々はすっかりくつろいで管絃の遊びを楽しみます。
頭の中将のお子で、今年はじめて童殿上わらわてんじょう する八、九歳ぐらいの少年が、たいそうきれいな声をしていて、しょう の笛を吹いたりなどしますのを、源氏の君は可愛くお思いになって、遊び相手にされています。
このお子は四の君に生まれた次男です。権勢家の右大臣のお孫なので、世間の人も自然に重く扱って、特別大切にかしずいています。性質も賢くて、お顔立ちも美しくmお遊びの宴が少しくだけてゆく頃、催馬楽さいばら の 「高砂たかさご 」 を、声を高く張って謡うのが、実に可愛らしい感じです。
源氏の君が、お召物を脱いで御褒美にお与えになります。いつもよりは酔っていらっしゃく源氏の君のお顔の色艶いろつや が、比べようもないほど美しく見えます。うすもの直衣のうし に、単衣ひとえ を召していらっしゃるので、お召物から透けて見えるお肌の色が、ましてとりわけ美しく見えるのを、年とった博士たちなどが、遠くから涙を落としながら拝見しています。次郎の君が、 「高砂」 の末の句の、<あはましものを、さゆりばの> と、謡い終わったところで、頭の中将が、お盆を源氏の君にさしあげれれました。

それもがと 今朝けさ 開けたる 初花はつはな に おとらぬ君が にほひをぞ見る
(それを見たいと人々から 待ちかねられながら 今朝はじめて開いた花 それにも劣らぬあなたの 何という美しさよ)
と、頭の中将が申し上げますと、源氏の君はほほ笑まれて、お盃をお取りになりました。
時ならで 今朝咲く花は 夏の雨に しをれにけらし ほふほどなく
(季節をまちがえ 今朝咲いた花は 美しく匂う間もなく 夏の雨にむなしく 萎れてしまったらしい)

「わたしもすっかり衰えてしまいましたよ」
と、陽気にたわむれて、わざと酔いの上での冗談とおとりになるので、頭の中将はそれをお咎めになって、無理にもお酒をおすすめになられるのでした。
まだまだ歌もたくさんあったらしいのですが、このような酒宴の折の座興の不出来な歌まであれこれ書きとど めるのは、心得のない態度とか、紀貫之きのつらゆきいまし めておりますから、それに従いまして、面倒なのではぶ くことにいたしました。とにかく誰もが、源氏の君のkとをお讃めした趣旨のことばかりを、和歌にも、漢詩にも作り続けたことでした。
源氏の君自身の御気分としても、たいそう得意になられたと見えて <我は文王ぶんのう の子、武王ぶおう の弟> と口ずさまれたお名乗りさえ、まことに結構でございました。これは史記しき にある周公しゅうこう に、自分をなぞらえていらっしゃることなので、周公は東宮に当たる成王せいおう の、叔父になるのですが、さて東宮の何に当たるとおっしゃるおつもりなのでしょうか。その一件だけはやはりお心がとがめていらっしゃることでしょう。
兵部卿の宮も、始終源氏の君をお訪ねになります。音楽のおたしなみなどもすぐれていらっしゃる宮なので、優雅なお似合いのお相手の方々なのでした。

源氏物語 (巻二) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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