〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/02/10 (水) 

賢 木 (二十三)

春の司召つかさめ しの頃になりました。ところがこの三条の宮にお仕えする人たちは、当然いただけるはずの官職も与えられず、普通の筋道から申しましても、また、中宮の年給としても、必ずある筈の位階昇進などさえ、見過ごされたりして、がっかりして嘆く者がたくさんいたのでした。
中宮が御出家なされた場合でも、早々と中宮の御位が廃されたり、御封みふ などが停止されるという筈はないのに、御出家されたのにかこつけて、ずいぶんと御待遇に変化が現れました。それもこれも尼宮にとっては、前々から執着を捨て切っていらっしゃった俗世のことですけれど、お仕えする人々が、暮らしの頼りを失ったように悲しんでいる様子を御覧になりますと、御気分を害される折々もございます。けれどもともかく御自分の身を犠牲にしても、わが子東宮の御即位さえ無事に遂げられたならばと、そればかりお念じになって、ひたすら仏道のお勤めにはげんでいらっしゃるのでいた。
お心のうちでは、東宮の御前途について、危険な不吉なことが起こりそうな、不安な予感がなさることもおありなので、出家した自分に免じて、あの東宮の出生の罪障を軽くしておゆる し下さいと、御仏にお祈り申し上げては、すべての不安もつらさも慰められていらっしゃいます。
源氏の大将も、尼宮のお心のうちを、充分拝察なさいまして、ごもっともなこととお考えになります。源氏の君のお邸に仕える人々も、中宮家の人々と同様に、辛い待遇ばかりを受けておりますので、源氏の君は世の中に嫌気がさし、近頃ではすっかり引き籠っていらっしゃいます。
左大臣も、公私ともにうって変わった世の有り様に、お気をふさがれて、辞職の表をお出しになりましたが、帝は故院が、この左大臣を格別に大事な御後見と思し召されて、末長く国家の柱石ちゅうせき にするようにと御遺言遊ばしたことをお考えになりますと、左大臣を手ばなし難くお思いになられます。とても辞職など許すことは出来ないと、度々の申し出もお取り上げになりませんでした。それを左大臣は、強いて御辞退申し上げて、とうとう御引退になられたのでした。
こうして今ではますます右大臣の御一族ばかりが、際限もない御栄進を重ねています。国家の柱石とされていられた左大臣が、こうして政界を御引退なさいましたので、帝も心細くお思い遊ばし、世間の人々も心ある者はすべて、悲嘆にくれるのでした。
左大臣の御子息たちはどの方々も皆、人柄が好ましくて政界に重く用いられ、これまでお幸せそうにお過ごしでしたのに、今ではすっかり意気消沈して、頭の中将なども、この上もなく前途を悲観していらっしゃいます。
あの右大臣家の四の君の許へも、婿君として、途絶えがちに通いながらも、呆れるほど四の君を冷淡に扱われましたので、右大臣家でも、頭の中将を気を許した婿君の中には数えていられません。思い知れというつもりか、頭の中将もこの正月の司召しに漏れて、昇進から外れました。御本人はそれを大して気にもとめていらっしゃいません。
源氏の君が、こんなふうにひっそりとお暮らしになっていらっしゃるのを見ても、世の中はいかに頼みにならぬもにかとおわかりになるので、頭の中将は自分の不遇などは、なおさら当然だとお考えになって、相変らず源氏の君の所へよくお訪ねになり、学問も音楽の遊びも常に御一緒になさるのでした。昔も、夢中になって源氏の君と競争なさったことを思い出されて、お互いに今でも、何かちょっとしたことにかこつけては、いつも張り合っていらっしゃいます。

源氏の君は春秋二回の御読経みどきょう の法会は当然として、臨時にも、様々な法会を催されます。また仕事がなくて、暇そうな博士たちを召し集められて、漢詩を作ったり、韻塞いんふた ぎなどの気楽な遊びの会などを催されて気晴らしをなさり、宮中への出仕もほとんどなさらないで、お好きなように遊んでいらっしゃいます。世間ではそういうことを取り上げて、どうやら、次第に、うるさい非難などを言い始める人も出て来たようです。

源氏物語 (巻二) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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