年も改まり諒闇
も明けましたので、宮中のあたりでは華やかに、内宴ないえん
や踏歌とうか などがあるとお聞きになるにつけても、御出家なさった中宮には、すべてに感慨を呼びさまされます。仏前のお勤めをしめやかになさりながら、ひたすら後世ごせ
のことばかりお祈りになっていらっしゃいますから、来世も頼もしい気がなさり、煩わしかったこの世でのあれこれも、遠い昔のことのようにお感じになられるのでした。 常にお祈りなさる御念誦堂ごねんずどうはそのままにして、西の対の南の方に、少し離れて今度特別に新築なさった御堂みどう
にお移りになられて、格別にお心を込めた勤行をあそばします。 源氏の君が年賀に参上なさいました。新年になってもそれらしい華やかな様子もありません。三条の宮の内はひっそりとして人影も少なく、中宮職ちゅうぐうしきの役人たちの親しくお仕えしている者だけが心持うなだれて、思いなしか、ひどくふさぎ込んでいるように見えます。 ただ吉例の白馬あおうま
だけが、やはり昔に変わらぬものとして、七日の節会せちえ
にこの宮にも牽ひ かれて来たのを、女房たちが見物しています。 故院の御在世の頃には、所も狭いほどに年賀に参集した上達部などが、今ではこの三条の宮家の前の道を、ことさらに避けて通り過ぎては、向いの右大臣のお邸に集まっていくのを、こうなるのが当り前の世の常のこととはいえ、尼宮がもの悲しくお感じになっていらっしゃるところへ、源氏の君が千人にも値するほどの力強く頼もしいお姿で、誠実にお訪ねになりました。女房たちはそのお姿を拝しますと、わけも無く涙ぐまずにはいられないのでした。 お客の源氏の君も、昔に変わるすっかり淋しくなった有り様に、あたりをしみじみ見回されて、すぐにはお言葉もございません。何もかも昔と変わってしまったお住居すまい
の御様子、御簾みす の縁へり
や、御几帳みきちょう も青鈍色あおにびいろになり、その隙間すきま
隙間からほのかに見える薄鈍色や梔子色くちなしいろ
の尼衣の地味な袖口などが、かえってなまめかしく、奥ゆかしくお目にとまるのでした。 解け始めた池の薄氷うすらひ
や、岸の柳の芽ぶきそめた自然のきざしだけは、今まで通り季節を忘れずにいるものよと、さまざまな感慨にお心をとらわれて御覧になります。 <むべも心あるあまは住みにけり> と、ひそやかに口ずさまれるのが、またこの上なく優雅なお姿と拝されます。 |
ながめ刈る
海人あま のすみかと 見るからの まづしほたるる
松が浦島 (この御殿は もの思いに沈んでいられる 尼宮のお住居と見れば はやくも涙がひとりでに あふれてくる悲しさ) |
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と、申し上げますと、それほど奥深くもないお部屋のほとんどを、御仏の場所におゆずりになられた今の御座所ですから、前より少し身近にいらっしゃる感じがして、 |
ありし世の
なごりだになき 浦島に 立ち寄る波の めづらしきかな (昔の頃の名残さえ とどめていない わびしいわたしの住居に 立ち寄ってくれる
人があるのが珍しい) |
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と仰せになる中宮のお声も、ほのかに聞こえますので、源氏の君はこらえきれずにほろほろと涙をおこぼしになりました。世を捨てて悟りすました女房の尼たちが、それを見ているだろうと思うのも恥ずかしいので、源氏の君は言葉少なにお引あげになります。 「さてまあ、お年につれていよいよ類たぐ
いなく御立派におなりですこと。何の御不足もなく、世に栄えて時めいてうらっしゃった頃は、ただもうお一人天下でいらっしゃって、どうして、この人生の機微がお分かりになるだろうかと、拝察されましたけれど、今ではすっかり御思慮が深く落ち着かれて、些細ささい
なことにつけても、しっとりとしたあわれ深い感じまで添ってこられたのは、こうした時であるだけに何だかおいたわしく思われますね」 などと、年とった尼たちは泣きながら、源氏の君をほめそやしています。尼宮も、いろいろとお思い出しになられることがたくさんあるのでした。 |